弱れども変化

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2  結論から言えば、昨日は電話をしなかった。彼からの着信もなかったようで、寝起きの私の頭はぼんやりをそれを眺めていた。  1限はもう遅刻してしまうだろうから、いっそ休んでしまおうか。そんなことをベッドの中でもぞもぞと考える。情けない、情けない。母親に似た声が頭の中でぐるぐると回る。ごめんなさい、と呟いて、ようやく私は身支度を整えるために起き上がる。  レポートが忙しい、とかであってほしいな、と思った。もしくは、私が忙しくてかけてこないのだろうと気を使ってくれてる、とかであってほしいと。ハナちゃんの話は、無関係であってほしい。時間がたつほどに一層電話なんてしづらくなると、わかっていたのに。画面を見つめながら、夜中に私はぼろぼろと泣くことが増えた。彼に頼れないことも寂しいが、それ以上に彼が何とも思っていないかもしれないことがもっと寂しく感じられた。  1週間くらい経った頃だろうか、シャワーから上がったら端末が光っていた。慌てて手に取ると、ハナちゃんからの着信があった。クッションの上に座り込んで、かけ直す。 「やっほーアカリ、寝てた?」 「ううん、シャワーしてた。何か用?」 「明日の小テストの範囲教えてほしくってさあ。教科書の何ページだっけ?」 「62ページからだよ。結構範囲広いから頑張って」 「うっそやば。あとアカリー、またレポート写さして?」 「……そろそろ自分で書いた方がいいよ、教授に、私の写してるのバレてるしさあ」 「バレてんなら別にいいんじゃない?キャハハ」  底抜けに明るいハナちゃんに笑って相槌を打ちながら、それでももやもやしたものが晴れない。人間誰しも完璧ではないし、私なんて情けないことの方がずっと多いから、気にせず友達でいてくれるハナちゃんはありがたいはずなのにそんな考え方をする自分が嫌だ。そう思いながらももやもやする自分も、それもきちんと言えない自分も、情けなくて。 「そう言えばさあ、スグルくんから電話きた?それともまだアカリからかけてんの?」 「……いや、かけてないし、かかってもこない」 「ほらあ、やっぱ迷惑だったんじゃないの?」 「……それなら、たぶん言ってくれると思う」 「それかさあ、お互い環境も変わって、向こうも彼女とか作ってんじゃない?アカリも作りなよ彼氏」 「そんな、」 「大丈夫だって、アカリ可愛いからさ!今度うちの友達紹介するし!」 「……ええ」 「ええとか言うなってぇ。次の日曜日空けといてね!遊びに行こ!」  結局、もやもやも伝えられず日曜の約束を取り付けられてしまい、断りもできずに電話は終わってしまった。通話終了の電子音にどうしよう、とまだ半分ほど白紙のレポートを眺める。火曜の昼休みの時間で間に合うかと、時間割を眺めていたらまた端末が震えた。  スグルからだった。 「も、もしもし」 「あ、もしもし。僕です」 「……どうも」 「最近忙しいですかね。声を聞けていなかったなと思ってかけてみたんですが……もう、おやすみでしたか」 「ううん、友達と電話してた。前に話した、元気な子……」 「そうでしたか。邪魔してしまいましたかね」 「ううん、タイミングばっちりだったよ」  ちっとも変わらない声音に、私はと言えば緊張していた。どうしてかけてくれたんだろう。話したいと思ってくれたのか、いやいや、喜んじゃいけない、まだそうと決まったわけじゃない。1週間もの間に発酵した疑心暗鬼はろくでもない方向に思考を吹き飛ばす。 「時期的にはテストもそろそろですかね。いかがですか、現代文は」 「レポートがまだ半分白紙だから、ピンチかな」 「おやそれはいただけない。電球の家庭教師はいかがでしょう」 「そっちだって忙しいんでしょう。大丈夫だよ」 「平気ですよ、なんなら僕の分のテストは、友人に代理で受けさせますから」 「電球の代理って、どうやって」  ちゃんと普通に話せているだろうか。喉は震えていないだろうか。声は上ずっていないだろうか。そんな考えで頭はいっぱいで、彼の過保護な言葉に繰り返し大丈夫だよ、と返事し続ける。大丈夫じゃないと、泣いていたと言ってしまっていいだろうか。そこまで考えて、彼は私にとって何なのだろうと、得も言われぬ関係に名前を探した。そうして喉に引っかかった言葉が、彼にとっての私と違ったらどうしようと怯えて、魚の小骨みたいにとれなくなってしまう。 「大丈夫だって、本当に」 「……そうですか。強くなりましたね、アカリさん」 「君のおかげだよ。そっちこそ、大丈夫?何か私に手伝えることはない?」 「問題ありません。おかげさまで友人も増えて、彼らにたくさん助けられてますから」  それは彼の、紛れもない本音だと思う。きっと私みたいに、彼の人柄に触れて仲良くなれた人たちがいるのだろう。電球の頭なんて、彼にとっては大したハードルでもなかったのだ。 私はどうだ。言いたいことも言えないで、友人と呼ぶ女の子に振り回されているようにも見える。彼女とは対等な関係に、なれそうもない。  きっと、私がいなくても彼は全然平気で、ちゃんと楽しくやっていけるのだろう。私だけが彼に頼っているんだ。こんなにも弱く情けなくなって、彼に頼れなければやっていけない。彼に反抗していた、あの頃の態度の悪い私はどうした。  依存、という言葉がまた目の前をちらつく。彼が教えてくれる他愛のない日常話が、素晴らしい友人に囲まれていることを知らしめて苦しくなる。私は、君にとって何なんだい。マイヒーロー。教えてくれよ。  喉につかえた言葉は痛みを伴って飲み込むこともできず、その鋭い切っ先を舌に乗せた。 「楽しそうで何よりだよ」 「ありがとうございます」 「……そのうち、いい彼女もできそうだね」 「どうでしょうか。アカリさんの近くには、そのような素敵な殿方はいらっしゃいますか」 「……いたらこんなことで悩んだりしないよ」 「悩んでいるんですか。では、電球の相談窓口はいかがで」 「ふざけるのも大概にしてよ」  溢れた言葉は本当に母親そっくりだった。自分の苛立ちに身を任せて、非のない相手に無理やり理屈をこねて攻撃する女だ。今まで自分に刺さってきた言葉なのに、その痛みはよく知っているくせに、慣れすぎて麻痺でもしてしまったのか。こともあろうに罪もない、心配性の彼に振りかざしている。  助けてくれ。なりたくないものに今もなっているんだ。なりたいものの皮なんて被ったって、その面の下は変わらず腐ったままだった。助けて。それが叶わないなら、あの日の私を突き飛ばして叩き壊してくれ。  闇雲に言葉を振り回した後はじっと、長い沈黙が続いた。呆れたんだろうな、でも、後戻りもできない。ごめんなさい、とやたら使い古した謝罪は使い物にならなかった。またかけますからね、と優しい言葉を聞いたのを最後に、私から電話を切った。  私は、いったい何をしているのだろう。自己嫌悪に息が止まりそうだ。クッションと膝を抱えて私は泣き出した。どうして私は、こんなにも酷い人間なんだろう。神様、もういいから、私の頭を代償に、彼の頭を元に戻してくれ。そうして少しでも役立ててから終わりにしてほしい。泣きじゃくって必死に願った。二の腕に爪を立てて必死にこらえた。そのうちに、泣き疲れてそこで眠ってしまったようだった。  翌朝になってわかったのは、神様は私の頭に価値なんかないって、見放したということだけだった。
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