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蒸発
「あれじゃ、室見川も一気に蒸発するよね……」
ひとり、パソコンとニュース番組の画面を見つめるしかない部屋の中で、ぼろりとくだらない言葉が口元からこぼれた。だらしのないよだれのように。
「しろうおも全部燃えるよね……」
衝撃が強すぎると、脳みそは本当にろくなことを考えなくなるのだな、と、これまたぼんやりと思った。
パソコンの横に置かれたスマートフォン、そのトークアプリの画面に残る「なつみ、そっち揺れた?」というわたしの書いたコメントの脇には、既読マークはつかないままだ。
なにが起きているのだろう。
地震のような衝撃から、三時間が経過していた。何かあったときにすぐに逃げ出せるよう、履き古したスニーカーを、自分の隣にしっかり引き寄せたスーツーケースの蓋の上に揃えて置き、財布とスマートフォンの充電器、おやつ代わりに買ってあった保存食のビスケットを一箱と五百ミリリットルのペットボトルの水を一本放り込んだリュックを膝ごと抱えて、わたしはもうずっと、テレビとパソコンとスマートフォンの画面を、かわるがわるぼんやりと見つめている。
でも。
今自分が見ている画像がなんなのか、この脳みそは理解してくれない。
「――今、私のいるここはちょうど、福岡市との境にあたります。現在避難勧告及び地元警察による退避命令が出ておりますため、これ以上は近づけませんが、ご覧ください。今このそばに立っている私自身には、炎の熱のようなものは一切感じられません。何かが燃えるような音も聞こえてきてはおりません。しかし、この透明のなにか、福岡市街をすっぽりと覆ってしまったガラスのドームのような何かの中では、確かにすさまじい勢いで燃え盛る炎のようなものの姿を見ることができます。そしてその炎のようなもの以外に、私がこの透明の壁の向こうに、この目で確認できるものはありません」
ヘルメットをかぶったリポーターが、興奮した口調で喋っている。台風中継のようだなとぼんやり思った。
上空からの映像に切り替わった。アナウンスがかぶる。ヘリコプターからの中継らしい。そのカメラのレンズが、燃え盛る炎を閉じ込めたような状態のドームの上を、左から右へ動いていく。その画面の端にちらりと黒い物体が写り込む。結構な数のドローンが飛んでいるようだ。メディアのものも、個人所有のものも混じっているのだろう。パソコンのリアルタイム検索画面では、ドローンで中継中!といった書き込みがどんどんと流れてきている。動画サイトにも、すでにいくつか映像が上がっているようだった。「すげー、まさに炎上動画」というくだらないコメントと、それを罵倒するコメントがもうすでにいくつも絡み合いはじめていた。
うねるオレンジの色。うねる、赤い、赤い。
赤い。一面の。
赤。
「ひ」
行き場のない言葉が、だらだらと口から垂れる。なつみ。ねえ、なつみ。
「ひよこ饅頭、どうしよう、ねえ、なつみ」
何が起きているかわからないから、起こっていることが嘘か本当かもわからない。
「現在、福岡市街には電話回線その他通信機器がすべて繋がらない状態です」
いまだに既読がつかないなつみとのトーク画面を邪魔するように、ぽんとニュース速報の通知が浮かぶ。
《大規模火災の福岡市街に巨大なドーム状の物体が出現、市街との通信は断絶》
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