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発生
〈鈴香、ちゃんと荷造りできた?〉
〈できたー。あとは羽田でなつみ様の大好きなひよこ饅頭を買うだけさ〉
明日から八月になる。
珍しく湿気の少なかった今日は、日が落ちると気持ちのよい涼しい風を、開け放した窓から送り込んでくる。
わたしは床に広げたスーツケースに左手で夏服を詰め込みながら、右手のスマートフォンで文字を打ち込んだ。
トークアプリの画面の向こうで、明日会いに行く、新婚生活をはじめて半年の友人が笑っているのを感じる。
〈福岡銘菓の逆輸入ご苦労〉
〈そういえば、しろうおって今食べられる? 時期違う?〉
利き手でない左手の動きはとても不器用だ。ケースに押し込もうとしたワンピースの裾が見事に広がってしまって収拾がつかない。あきらめて右手からスマートフォンを離し、両手できちんと中身を整える。
床に置かれた端末の画面に、ぽこんとなつみからの返信が浮かんだ。
〈あれは春だけって。じゃあ、〉
そして続けざまにぽこん、ぽこん、ぽこんぽこんと。
〈あ〉
〈待って〉
〈なんかいま〉
〈外で〉
その瞬間。
どん、と横殴りに吹き飛ばされるような衝撃が部屋を震わせた。
わたしはそのままスライディングでもするかのように、フローリングの床に打ち倒された。床にぶつかった右の側頭部が立てたごつん、という音が、耳の中でうわんと反響した。
その頭の横を、開いたままのスーツケースが滑っていく。そのままドアにぶちあたり、ごん、と音を立てた。ローボードの上でテレビが前後に大きく、たたらを踏むように揺れている。
「え、え、え、なに、地震?」
衝撃はその一度きりだったが、東日本大震災以来、余震の恐ろしさが身にしみているからか、しばらくその場から動けない。気を抜いた瞬間に第二波が来る気がして、ベッドの足にすがりついたまま、左足をそうっと伸ばして、床に転がったスマートフォンを引き寄せる。防災速報の通知が出るように設定されているその端末の画面には、さっきまでの友人との呑気なトークが浮かび上がっているだけだ。
〈なつみ、そっち揺れた?〉
トークアプリの画面にそう打ち込みながら、ベッドの上に放り出してあったテレビのリモコンに手を伸ばす。
「震源地どこよ。結構揺れ大きかったけど、震度いくつだ……」
ちょうどニュース番組が流れていた。右上に「中継」の文字が映っている。
その画面は、真っ赤だった。
うねる赤、広がる朱色。
激しすぎる炎の色だった。
アナウンサーが何かを言い出すのと同時に、手の中のスマートフォンがぴろん、と気の抜けた通知音を発した。
画面に目を落とすと、そこには、
《福岡市街、大規模火災発生》
という文字が浮かんでいた。
「え、じゃああれ、福岡……?」
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