猫の夢の味

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 画面の中の勇者が跳ねる。敵を倒し、罠をかわして宝石箱を開けて宝物を手に入れた。勇者は両手を上げて喜ぶモーションをし、その周りをゲームのマスコットでもある2足歩行で羽のついたグレーの猫が飛び回って一緒に喜んでいた。樹の母親はよく、今のゲームを見るたびに綺麗な絵ねえ、と感心したように言う。 「ホントにニャンクス可愛いよな~!」  絵の綺麗さについてはよく分からないが、この猫は本当に可愛い。  みゃあ、と鳴き声がして『現実世界の』猫が樹の立てた膝にすり寄ってきた。額を一生懸命押し付けてじっとこちらを見てくる。名前はトロ太という。二年前に樹の父親の車の下で拾った猫だ。父親の車のメーカーの名前と、猫のわりにどんくさいことから樹が名付けた。キジトラという柄で、拾った当初は一日中構い倒して両親に怒られるほどだったが、だんだんと存在に慣れてきてそうでもなくなってしまった。 「なぁ~~ご」 「もう、トロ太。邪魔! お前も灰色だったらなぁ」  ゲームの画面の上に乗ってくるトロ太を床に落とす。トロ太はそのまま自分のトイレのほうまで歩き、ざっざっと猫砂を掘り始めた。少ししてうんちの臭いがしてくる。犬を飼ったことはないが、猫のうんちは犬のうんちより臭いらしい。我慢できるが若干気になるそれに樹はトイレと太ももの上のゲーム画面を何度か見比べる。トロ太がトイレの横で樹を呼ぶようににゃん、と鳴いた。 「…いいや」  もうすぐお母さん帰ってくるし。気づかなかったことにしよう。  座った状態からソファに寝転がるような体勢になり、トロ太に足を向ける。それから何度かヤツは邪魔をしにきたが、何度も追い払うと次第に来なくなった。何もないところを見つめて鳴いているのを見るに、きっと樹から興味を失ったのだろう。猫はきまぐれだというし。  夏休みは始まったばかりなのだ。少し前に発売されたゲームもしたいし、友達とも遊びたい。家の猫を構ってやる暇など、樹にはどこにもないのだ。    ***  一ヶ月少しぶりにせおうランドセルは少し重い。宿題の習字やら絵やらが入ったサブバッグも持って、通学班の真ん中を歩く。前を歩く同じクラスの女子が唐突に振り返った。 「ねえ、中原。聞いた? 今日転校生くるらしいよ」 「あっそう」 「全然驚かないじゃん。知ってたの?」 「知るかよ」  むしろ夏休みを経て学校に行くのにどうしてそんな情報を持っているのか。  教室に着くともう半数以上の生徒が来ていて、転校生の話でもちきりだった。 「おー樹! 転校生の話聞いた?」  ゲーム仲間の慎吾までもが開口一番に転校生だ。それよりも慎吾には言いたいことがたくさんあるのだ。 「聞いたよ。それよりさ、5章のボスもう倒した?」 「昨日倒したぜー! あいつ状態異常攻撃してくるのが地味にうぜーよな。一瞬後ろに下がる動きするときに回避して滑り込んで攻撃すれば意外とイケたぜ」 「いや簡単に言いすぎな? どうやっても回避できなくて直撃するんだって」 「は~~?」  得意げな顔に腹はたつものの、慎吾はゲームが飛びぬけてうまい。 「俺がやってやろうか? まあ樹は、ニャンクスに回復道具山ほど持たせて地道にHP削る方が安パイだと思うけど」 「チマチマ削っても中盤の回復でリセットされるんだよ!」 「ハハハ! だよな! 知ってた!」 「くそ~~!」  ところで、と慎吾が目を輝かせて樹を見てくる。 「ニャンクス見てたら本物の猫触りたくなるんだよ。今日樹の家行っていい? トロ太と遊ばせてくれよ」 「あー…。最近、トロ太元気ないんだよ。ずっと寝てるというか…。来ても多分寝てるからつまらないよ。ニャンクスと違って可愛くないし」 「そーなの? 病気? 大丈夫なのか?」 「さあ? 一週間前くらいにお母さんと病院連れて行ったけど、異常ないって言われたし大丈夫じゃない?」  冷たい奴、と言いたげに慎吾が目を細めたところで担任の先生が教室に入ってきた。噂通りに後ろには女子が付いてきている。 「柴倉杏子です」  転校生はいかにも気の強そうなヤツだった。天パな髪はあちこちに跳ねていて、本人の元気が髪にも伝わっているかのようだ。よろしくお願いしますとでもさっさと言えばいいのに、黙ってこちらを見つめている。  ……こちらを、つまり樹のほうをじっと見つめている。  樹は慌てて視線を机に戻した。なんで僕のことを? それとも気のせい?  そっと目を上げると、ヤツはにやっと笑った。 「趣味は寝ること。好きな食べ物は動物の悪夢。思い当たることがあればぜひ私まで」  最悪なことに、柴倉は最初から最後まで樹と目を合わせながら言い切った。前の席の慎吾が、あいつ変な奴だなと振り返って小声で言った。  夏休みが空けてしばらくしても、トロ太はよくならなかった。いや、母親が言うには『悪いところもない』のだ。採血だとかレントゲンだとかを一通り検査をしたのだが、特に問題なかったらしい。強いて言うならほとんど食事もせずに寝ているせいで痩せてきていることだろうか。 夏休みが空けてからもう一度、今度は樹も一緒に動物病院へ行った。先生なりに説明をしてくれたのだが、つまり原因は分からないらしい。以前よりも眠っている時間が長くなってきていて、一日中餌が減っていないことを話すと、その日は点滴をしてもらった。 口の端に小さなスプーンで柔らかい餌を入れてあげてください、それも食べなくなってしまったらまた来て下さい、と先生は言った。 「樹。学校から帰ってきたら、トロ太にご飯あげるのよ。私もパパも夜まで帰ってこれないんだから」  ハイ、と小さなスプーンを渡された。 「えー、朝と夜で良いじゃん」 「樹ッ! あんたが飼いたいって言うから飼ったのよ? こんなに弱ってるのに、可哀想だと思わないの?」  可哀想だとは、思う。思うけれども、ゲームもしたいのだ。どっちの気持ちも樹の中にあって、どちらかというとゲームがしたい時の方が多い。  しかしそんなことを今母親に言えないのは樹も分かっている。猫用のキャリーケースからトロ太を抱き上げると、トロ太は幸せそうな顔をして眠っていた。餌を食べなくなって、点滴でしか栄養を摂れなくなった時、トロ太はどうなるのだろうか。 「あー、もう、またこぼして…」  結局、三日に二日くらいの割合で樹は小学校から帰るとトロ太にご飯を食べさせていた。残りの一日は慎吾と会うので忙しかったり、ゲームをして忘れていたりで食べさせられていない。それに加えて、最近は飲み込みづらくなってきた。スプーンからそのままご飯が落ちて、猫用ベッドを汚すのだ。早い段階でオムツにしたけれど、よだれかけとかはないのだろうか。 「全然食べないし、今日はもう良いかなあ」  ゲームもしたいし…。ソファに転がっているゲーム機を見つめると、ピンポーンとチャイムが鳴った。モニターを見ると、天パの女の子が映っている。 「え、柴倉…?」  柴倉杏子。最初のパンチの効いた自己紹介からどんなヤバいヤツかとクラスメイト一同身構えていたが、蓋を開けてみると意外と普通の女子だったという評判だ。印象通り気は強いらしいが、動物の夢がどうとかは言っていないらしい。もちろん最初の休憩時間で質問攻めにあっていたが、「関係ない人に詳しい説明はしないから」と言い切って話を終えたらしい。なら自己紹介で話すなよ。  樹とは一切の絡みがない。隣の席でもないし、どこに住んでいるのかも知らないが、登校班にいないから家が近いわけでもない。このまま特別なことがなければ話すこともないだろうと思っていた。  なのになぜ。  もう一度チャイムが鳴る。画面上の杏子がイラついたように貧乏ゆすりを始めた。 「は、はい」 『あたし、柴倉だけど。開けてくれない?』  散々迷った挙句応答したがヤツは横柄な態度を崩さない。樹ではなく母親が出ていたとしても同じ態度でいるのだろうか。トロ太の口につけていたスプーンを流しに置いて玄関を開けると杏子は行儀よく靴を並べて部屋へ入ってきた。 「お前…何しに来たんだよ。クラスでも話したこともないのに」 「あんたに用があるわけじゃないから。あたしが用があるのは、そこの猫ちゃんよ」 「は、え? トロ太に?」 「トロ太って言うの? 可愛いわね。それにとっても…」  ずかずか眠っているトロ太に近づいて抱き上げる。正座をした上に乗せると顔を近づける。 「…美味しそう」 「おおおおい! トロ太を返せ!!」  その舌なめずりした顔にじゅるりと効果音が聞こえてきそうで、樹は慌ててトロ太を取り返した。この元野良猫は警戒心がないのか、ぐーすかと幸せそうに眠っている。久しぶりに抱き上げたトロ太は記憶の中よりも軽かった。 「返しなさいよ。こんなに騒がしくしても起きないなんて、相当夢魔に浸食されてる証拠よ。あたしに任せてくれたら良いようにしてあげるから。そんなになるまで放っといたんだから、ここから先も放っておきなさい」 「放っといたって、なんだよ。お前にそんなこと言われる筋合いないんだよ!」  それまで馬鹿にするような顔を向けていた杏子「がふと表情を消す。それほど特徴のある顔立ちではないが、意志の強そうなふるまいのせいか圧力を感じて樹は口を閉じた。 「そんなに言うなら教えてあげる。この猫ちゃん…トロ太ちゃん、ずっと眠っているでしょう。一日に一度も起きないくらいに。でも病気ではない。そうだったでしょう? その原因はね、夢魔に憑りつかれているからよ」 「夢魔?」  たまにゲームとかで聞く名前だ。悪夢を見せたりする敵。 「じゃあ、トロ太は今悪夢を見てるのか?」 「そうとも言えないわ。嫌な夢なら早く起きたいと思うでしょう。いい夢だからこそ、トロ太ちゃんは満足して起きないのかもしれない」 「でも、それで弱ったら意味ないじゃんか」 「それくらい現実が楽しくないんじゃないの。何が理由で夢魔に憑りつかれたかなんてあたしは知らないけど。これだけは言えるよ。現状に満足して幸せな子は夢になんて逃げない」  チラリと杏子はソファの上のゲーム機を見る。なんだか無性に居たたまれない気持ちになった。見るなよと口をもごもごさせて言ったが杏子には届いていないようだった。 「で、どうする? あたしの好きにしていい?」 「好きにって…どうするんだよ。治療するのか?」 「違うわ。トロ太ちゃんの夢の中に入って、直接夢魔をいただくのよ」 「夢の中に入るっ? それって、どういう…」 「あー、もう。分かった分かった。あんたも一緒に来なさい。どうやら原因あんたみたいだし」  京子が手を合わせる。急に眠気に襲われ、樹は床に手をついた。  いただきます、と声が聞こえた。   
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