王子と少女、恋焦がれ

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王子と少女、恋焦がれ

それは突然だった。 一目惚れした彼との婚約を認めてもらって数年。 忙しくてなかなか会えない彼にせがんで設けてもらった二人だけのお茶会。 普段はクールで私の事を一切見ない彼がにこやかに私を見ている。 彼もようやく私の魅力に気がついたようね! 私もそれに返すように微笑む。 そこで彼の側近が紅茶を運んできた。 「レモンティーでございます」 紅茶を受け取るとティーカップにレモンを浮かべる。 レモンのいい香り! にこやかに微笑み続ける彼に見守られる中、カップを口元に近付けた瞬間。 ドクンと心臓が大きく跳ねた。 逸る鼓動と吹き出る汗。いわれのない焦燥感。 紅茶に口を付けてはいけないと脳が警鐘を鳴らす。 「リーゼロット?」 動きを止めた私を不審に思ったのか彼が私の名を呼ぶ。 瞬間、頭が割れそうな程の痛みにカップを手放す。 ガシャンと音を立ててカップが割れ、熱々の紅茶がテーブルに飛び散った。 「リーゼロット様!?」 隅の方で控えていた彼の側近と私の侍女が慌てて駆け寄ってくる。 でも私はそれに構ってられなかった。 頭の中に処理しきれないほどのたくさんの映像が流れ込んでくる。 とある本を大切そうに抱える少女の数年の成長記録みたいなものだろうか。 映像の最後はその少女が交通事故に遭うシーンだった。 …………思い、出した……。 私の前世を……。 私は、私の前世は木下莉瀬(きのしたりせ)。 前世はどこにでもいる普通のオタク学生だった。 高校の卒業と就職を目前に控えていた十八歳の冬。 学校へ向かう途中の曲がり角で車と接触した。 それで前世の私は死んだ。 さっきの映像の中の少女は前世の私。 第二の人生真っ只中の私にとっては別に悲しくもなんともないけれど、あの世界の本の続きが読めないとか両親や友達と会えないのとかはちょっと寂しいかな。 なんせ今世は全く違う世界なのだ。 ここは多分中世ヨーロッパ寄りの世界。 貴族が存在している時点で現代ではないのは確かだし、この世界には私がいた日本という国はない。 全くの別世界へ転生させられたようだ。 でもなんで急に前世を思い出したりなんか……。 私は婚約者のヴィルフリートとお茶会をしていただけ。 レモンティーを飲もうとしたら急に頭が痛くなって……。 レモンティー……? ふと意識を目の前のテーブルに戻すと、侍女のナーサリーが慌ててテーブルを拭いていた。 「リーゼロット様、お怪我はありませんか?」 次いでヴィルフリートの側近、キースが声を掛けてくる。 「……大丈夫よ」 「そうですか。お茶淹れ直して参りますね」 ボーッとした頭でなんとか返事をし、向かいに座る婚約者ヴィルフリートを見てみるとヴィルフリートは我関せずといった態度で優雅にお茶を飲んでいた。 この男は……っ。 キッとヴィルフリートを睨んでやる。 今まではこのヴィルフリートにぞっこんだったけど、前世の記憶を取り戻してしまった今はこの澄ました態度が癇に障る。 ん……?ヴィルフリート? そこでまた引っかかりを覚える。 婚約者とお茶会、レモンティー、ヴィルフリート、キース、ナーサリー、リーゼロット……。 どれもこれも引っかかる。強いて言うなら既視感のような。 「お茶を淹れ直して参りました」 キースがお茶を持ってくると同時にヴィルフリートが口を開く。 「どうやら私の婚約者は体調が良くないらしい。それを飲んだら部屋に戻るといい」 なんて冷たい声。私の心配など微塵も感じない。 そしてどこかで聞いたことあるようなセリフ。 そこではたと気づく。 それは私が愛読していた小説『王子と少女、恋焦がれ』の王子、ヴィルフリートのセリフだった。 その本に出てくる王子もヴィルフリートだ。側近はキース。 そしてその王子の婚約者はリーゼロット……! 気付いた瞬間冷や汗が止まらなくなる。 だって登場人物も国の名前も立ち位置も何もかも小説と同じなのだから――――。 小説『王子と少女、恋焦がれ』のストーリーはこうだ。 リーゼロット・シェーンヘルは伯爵家の娘として生まれる。母はすでに他界。父は元々家に寄り付かず、仕事一筋で娘を放置。 リーゼロットは使用人達が育てていた。リーゼロットはワガママに育ち、使用人に酷いことばかりするので皆に嫌われていた。 そんなある日、たまたま父に会いに来ていた王とその息子、ヴィルフリート・エメラウスを見掛ける。ヴィルフリートに一目惚れし、猛アタック。ヴィルフリートは軽くあしらう。 リーゼロットは父に相談。 父は快く承諾し、婚約を結びつける。この時リーゼロットは十二歳。 リーゼロットをうっとおしく思っているヴィルフリートはリーゼロットが十六歳になった頃から命を密かに狙い始める。 最初は脅し程度。怖がって婚約破棄をしてくれればいい。 その頃ヴィルフリートに好きな人が出来る。それがこの物語の主人公、シャルロット・リーシック。 それを妬んだリーゼロットは主人公をいじめまくる。それを知った王子は益々リーゼロットを嫌悪。 数年後、ヴィルフリートの父、アルヴァロッド・エメラウス公爵から花嫁修業の一環として一緒に暮らす命令が下る。 いじめの件などから結婚式直前に断罪、つまり死刑になる。この時リーゼロットは十八歳。 そして晴れてシャルロットはヴィルフリートと結ばれる。 ここまでが一巻のストーリー。 え、ちょっと待って?いや本当に待って欲しい。 私は今十六歳で、ここが本当に小説の中の世界なら二年後には殺されてしまうってこと!? しかも二年を待つどころかその前にも命を狙われるわけで……。 そんなの絶対に嫌!! なんとかしないと……! というか確かそもそもこのお茶会がリーゼロット暗殺計画の始まりじゃなかったっけ!? 思い出すのよ、リーゼロット! 確か、キースが淹れたレモンティーに睡眠薬が入ってるはず……! そしてリーゼロットが寝落ちる瞬間にさっきのヴィルフリートのセリフ。 『どうやら私の婚約者は体調が良くないらしい。それを飲んだら部屋に戻るといい』 そう言い残して立ち去るのよね。 リーゼロットと一緒にいたくなくて早く切り上げるために婚約者に睡眠薬って何考えてんのよ! しかも心配そうに駆け寄って来たキースも共犯である。 優しそうな見た目に反してクソほども信用出来ない男である。 いやぁ、にこにこしながらお茶淹れ直してくるのはいいんだけどね? どうせこれも睡眠薬入ってんじゃないの? 私はため息をつく。 早急に部屋に戻って状況整理と今後の対策をしなくては。 「ヴィルフリート様の言う通り体調が優れないので私はおいとましますわ。ナーサリー、戻るわよ」 「か、かしこまりました」 急に名前を呼ばれて驚いたのかナーサリーは肩を震わせた。 そうだったわ。私はワガママ意地悪リーゼロットなんだったわ。 そこもなんとかしなくちゃね。
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