きいてるよ、ヒビキくん!

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「先輩、最近キレイになりました?」 皮肉か。 そんな褒め言葉を聞いて最初に浮かんだ言葉がこれだ。 キレイになった?なんて問いかけの真相は自分自身では分かりにくいものだけれど事実、変化がなかったとしても周囲の人間にそう言われることが世の中の女性で嬉しくない人はいないだろうし悪い気もしないだろう。 勿論、私だってそんなことを言われた日には嬉しくていつも以上に鏡の前で自惚れて自分チェックをしてしまう自信だってある。 しかし 今、その言葉を言われて喜べるほど私は単純な女ではない。 隣にいる社内で仲の良い同僚は少し青ざめたような顔で「世の女性が言われて嬉しいであろう言葉」を私に投げかけた目の前の男と私を交互に見比べている。 「アレ、思ってた反応と違うな...」 お世辞じゃないですよ?と私の顔を覗き込むこの男、日々樹(ヒビキ)くんは私の3つ年下の会社の後輩にあたり、こうやって人をからかうような発言が多々あるが信頼関係があっての甘えなのだと長女の私にはバレている。 やれ某アイドルグループのセンターに似てるやら某俳優に似てるやらで社内の影では女子社員たちに人気があるヒビキくん。 しかし意外にも知られていないこの性格でそのまま接されている私からしたらすべて虚言だ。 まぁそんなところも含めてカワイイ後輩ではあるのだが今の発言は私を喜ばせるには程遠く、むしろ逆の失言に値する発言であった。 そもそも何故その言葉が失言、言わば私のNGワードになっているのか。 それは最近の私の恋愛事情に大きく関わっている。簡潔に言うと想い人に彼女ができたのだ、つまり失恋。 半年前の合コンで出会ったのをキッカケにそこそこ一緒に出掛けたりもしていた仲だったのだがつい先日、彼女が出来たので私とはもう会えないという連絡が来た。 一目惚れまでいかずとも出会った当初から今の気持ちに近いものを持ち合わせていたので好きな期間は長かったと思う。 その期間のおかげで意識的にも無意識的にも自分磨きに拍車がかかった。友人や会社の同僚にも最近キレイになったねと褒めてもらった。その理由を掘り下げてくる人からは「恋の魔法だね」なんて言われることもあった。 原因はそれなのだ。 「恋の魔法」 そんな魔法、自分がいくらキレイになっても恋した相手に効かないんじゃ意味ないっ!!と先程のランチタイムで散々同僚に嘆いてきたばかりだ。 そんな話(というか愚痴)をずっと聞かせられていたからこそ今、隣にいる同僚は石のようにピシリッと固まってる私を見兼ねて口を開いた。 「ヒビキくん、今はまじそれNGワード」 「おい同僚、もっとうまいフォローしてくれ」 そんな事言ったら え!何かあったんですか?待ちになってしまうだろうが!! 「え、何かあったんですか?」 ほらーーーーー!!!言わんこっちゃない。 キラキラした目でヒビキくんがこの話題に食いついてしまった。先程も説明したが目の前で目を輝かせているヒビキくん、整った顔に似合わずからかい癖のある小悪魔青年だ。 「で、何があったんですか先輩。教えてくださいよ、僕と先輩の仲でしょ?」 「出たヒビキくんの心の壁Noソーシャルディスタンス」 末恐ろしいわぁ~、と最近流行りの言葉を交えて同僚がおふざけモードに入ってきているが実際、ヒビキくんはこうして人の懐に入るのが上手い。 こういうのが世渡り上手な人なんだなぁとたまに関心もする。 しかし そんなトラップで私の恋愛事情を会社の人間に、ましてや後輩に吐露するのはごめんだ。ここはうまく乗り切ろう。 「いやぁ~、ヒビキくんも急に煽てるなんて裏がありそうだけど仕事でミスでもした?私の管轄外だとフォローは無理だけど」 「え?素直にキレイになったなぁと思ったから言っただけですけど」 「なにそれ本当に新手の詐欺か」 「喧嘩売ってんですか先輩にパワハラされたって部長に言いますよ」 「私今逆パワハラされてない?」 と、まぁこの後輩ヒビキくんと私の関係性は良い意味でお互いに遠慮がない。 上下関係は勿論存在しているが冗談を言い合える数少ない同じ会社の社員同士。 「で、本当のところどうしたんですか。まじで浮かない顔してましたけど僕なんかダメなこと言っちゃいました?」 彼の憎めない所はこういう所だ。 人をからかっても馬鹿にはしない、傷もつけない。むしろ気を使ってくれるようなスーパーハイパー後輩。 「ダメってことじゃないけど...ちょっと色々あって」 「キレイになる理由の色々でナーバスになる理由なんて恋愛関係くらいになりそうですけど....先輩、失恋でもしたんですか」 「察しているなら労われ先輩を」 今のやり取りだけで気づくとかメンタリストか、とボソッと呟いたところで会社の昼休み終了の鐘が鳴った。 すると突然横からカエルが潰れたような声が聞こえた。それは紛れもなく隣にいる同僚から発せられたものだが声をかけようとした瞬間 「昼休み明け会議だった!!やばい何階の会議室だっけ!?」 そう言って私とヒビキくんの言葉待たずに颯爽と廊下を走って行った。 「僕の周りの先輩は慌ただしい人ばかりだな」 「その『ばかり』に私も入ってるなら今すぐ脱退させてね」 「無理ですよ、今目の前にいる先輩を筆頭に結成したドタバタユニットなんですから」 リーダー不在はユニット存続の危機ですよ。 なんて意味の分からない言葉を残してヒビキくんも自分の持ち場に戻っていった。 結局、私が失恋したニュースは後輩ヒビキくんにも伝わり結果として弄られるネタを自分から提供したようなものではないかと深く溜息を吐く。 そうして私は午後の仕事に取り組む為、自分の席へと戻った。
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