恋色は何色

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日は既に暮れて、真っ暗な廊下を歩いていると、私はいつの間にかミドリさんの寝ている部屋の前に来てしまっていた。中には小さな明かりがついている。まだ起きているのかな?  ぼーっと立っていると、部屋の明かりが一瞬陰って、ギョッと一歩引いたところで戸が勢いよく開いた。中から刀を握ったミドリさんが、鬼みたいな顔で現れた。 「――なんだ、ルリじゃねえか…………夜這いか?」 「違うわ!」 刀を部屋の奥に戻すと、ミドリさんはまた戻ってきた。今日は月明かりがなく、ミドリさんの顔は部屋の逆光によってよく見えない。 「殺気立ってどうしたんだよ。曲者かと思った」 ふーっと、ひと息はくと、左手に体重をかけて戸にもたれかかる。 曲者って……誰に命を狙われてるんだ。心当たりでもあるのか。私は来てしまった言い訳を一生懸命考えていたけれど、思いつかなくてそのまま話すことにした。 「考え事してたら、ここに辿り着いちゃった……」 コウさんが、恋していて……アオシはどうするのかなって、私はどうするのかなって、私には何にも分からなくて、それでも考えていて、限界を超えてこんがらがって……そしたらミドリさんに会いたくなって。 「ミドリさんは、分かるのかなって思ったから……その…………どうし、て……」 必死に説明していたのに、涙が出てきちゃった。どうして?  別に悲しくなんてないのに。話したいと思うことに、あてはまる語彙が見つからなくて。ミドリさんは驚いた声をして「とりあえず中入れ」と私を入れて戸を閉めた。行燈(あんどん)の火が柔らかく揺れた。  ミドリさんは、ちゃんと「好き」って伝える……? やっと嗚咽が止まると、ミドリさんは背中をさすっていた手を止める。お陰ですぐに呼吸は整った。左肩に、ミドリさんの髪があたる。少し茶色の混じる黒髪は真っ直ぐで、少しでも感じる重さがある。 「大丈夫か?」という耳元の声は、涙をさらに誘った。私は雨の様な大粒の涙を流した。何で泣いているのかは、相変わらず分からない。ミドリさんは黙って側にいてくれる。そこには、安心する私と、だんだん落ち着かなくなる私が並存していた。 ――聞けない。どうしても口に出せない。 ミドリさんに、そんなときどうするのか。言うのか言わないのか。こんだけのことが聞けない。キスケにも、山吹(ヤマブキ)さんにも聞けたのに。 「ミドリさん……」 私は左回りに振り向いて、ミドリさんの大きな胸に縋る。寝間着の襟を掴んで、顔を埋めた。 「……どうした」 尻餅をついた様な体勢で、ミドリさんは私を受け止める。右手は、私の背中に添えたまま、左手が、私の頬を持ち上げた。 「お前……やっぱり夜這いに来たのか?」 「ち、ちがう」 ミドリさんは、「ふっ」と目を細めて笑う。ああ、これ、ミドリさんの流し目だ……私もつられて笑った。そう思った途端、ミドリさんは真顔に戻る――その時、大きな腕が私を(くる)んだ。 「ミドリさん……?」 何にも言わないミドリさんは、腕の力も緩めない。緩めないどころか、だんだんと力が入っていく。私は掴んでいた襟を離す。余計にミドリさんの力に負けて、胸に顔を埋める様な格好になった。 ……心臓の音が聞こえる。 二人分の、大きな音が、一定の間隔で……   暫時、私達は動かなかった。 ミドリさんは何にも言わないから、私も黙ったままだった。何の音も聞こえない時間は、まるで時が止まっている様だった。ミドリさんが暖かくて、大きくて……離れがたくて。何か声を発してしまったら、また時間が動き出してしまいそうで、気がついて、離れてしまいそうで。でも時空は歪む事はなく、八幡社の鐘が鳴る。暮れ六つ…… 恐る恐る、ミドリさんを見る。ミドリさんは私を見ていた。行燈の明かりは、ミドリさんの後ろにあって、私の顔だけ照らしていた。艶めく涙ぼくろは、気づかないうちに、目の前に迫っている。 「ミドリさん……」 右頬を包む左手に、右手を重ねる。大きな親指を、私の指で包むようにすると、ひんやりとしている。一方私の頬は、恥ずかしいくらいに熱を帯びていた。互いの鼻が触れるほどまで、距離が近づく。吐息が当たる。ぼんやりとした明かりが、ミドリさんの瞳に私を映している。 吸い込まれそうだと思った。目の前の男が眩しかった。どうしようもなく……欲しい。 ――刹那の間、私は目を瞑る。 心臓が、動き過ぎて壊れそうだった。熱を出した時のようにぼーっとした。目眩がするように視界が歪む。重なる直前の唇が、僅かに震えたのを感じた…… けれど、触れ合ったのは、額だった。コツンと、擬音を添えたくなるように。 ああ……私にも分かった。言いたい気持ち、言えない想い。私は今、泣いちゃうくらい、怖い。 互いに恋しあう間柄のことを“恋仲”という。人には皆“欲”というものがあって、相手を思う時はそれと同時に相手の思いも欲しくなる。相手の思いが手に入ると、そこで人は恐れを覚える。これ以上、思いたくない。相手をこれ以上、自分の中で大きくしたくない。このまま行ってしまったら、自分が壊れてしまう……そんな錯覚。 「……なんか、済まねえな」 ミドリさんは額を離すと、目を逸らした。私は一歩離れて「私も」と付け足した。 ぽりぽりと頭を掻いて、ミドリさんは胡座をかく。頬杖をついた顔で、じっと私のことを見ていた。私は立ち上がって大雑把に髪を整え「また明日」と部屋を後にした。 実は気がついていた。立ち上がるとき、行き場なく降ろされた手が、私の髪を掠めた事。 
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