第1章 男の人は怖いのに

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 青木クリニックは、アレルギー内科と呼吸器内科を標榜する診療所だ。  スタッフの勤務時間は9時から18時だと聞いているが、夕方は仕事帰りの患者で混雑することは、紗衣にも想像できた。  今日は仕事始めで月曜日。やはり混むだろう。  紗衣は職員玄関の入り方とタイムカードの扱いを教えてもらった後、他のスタッフと一緒にミーティングに参加した。スタッフはメディカルウエアに着替えたが、紗衣はパンツスーツのまま。後で保坂事務長が紗衣のウエアを渡してくれるそうだ。  ミーティングに参加したのは、スタッフ全員。しかも、当然のように院長先生も輪に入っている。  院長の青木雅哉先生は、30代後半に見える優しそうな雰囲気の先生だった。医師としては若い方だ。スタッフは、ミッドナイトブルーとかワインレッドのメディカルウエアを着用する中、青木先生のモスグリーンのスクラブは野暮ったく見えた。でも、紗衣はとてもそんなことを言えない。  緊張で固まる紗衣に、青木先生は言い放った。 「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。ここは、“おばやん”と“だめお”の集まりだから」  冗談だろうけど、そんなにばっさり言われてしまうと、紗衣はかえって緊張してしまう。しかし、他のスタッフは「おばやんて何ですか」なんて腹を抱えている。保坂事務長も笑いを隠さない。  最初の就職先であった病院では、医師は神様だった。看護師など国家資格を持つ“技術屋”は、神様の恩恵を受ける人間。それ以外の人は、人間ですらない。  でもここは、スタッフが公平に接している。  紗衣は、ふと輪の外側に目をやった。キムチうどんが食道を通る熱さのような、氷を胸の谷間に落としたような。熱いのか寒いのかわからない妙な感覚が、心臓から指先に広がってゆく。  あの男性もミーティングに参加していた。輪の一番外側で、真表情で、観察するように。  真表情でも甘いマスクで、口元のほくろが色っぽい。さらさらの黒髪が綺麗。それなのに、ミッドナイトブルーのスクラブとホワイトのストレートパンツは、いかにもク-ル。  男の人は総じて怖いのに、紗衣は彼から目が離せなかった。  彼の黒い瞳が紗衣の方を向く。紗衣はとっさに目を伏せた。 「では、今日も一日よろしくお願いします」  保坂事務長の締めの一言で、ミーティングは終了。それぞれの仕事を始める。  紗衣は受付の裏の事務スペースでメディカルウエアを受け取り、ロッカールームで着替えた。  支給されたメディカルウエアは、2種類。  ひとつは、ワンピーススタイル。  もうひとつは、パンツスタイル。  紗衣は迷わず、ワンピースという選択肢を捨てた。膝丈のワンピースなんか、御免被る。  ミッドナイトブルーのアンクルパンツにホワイトのメディカルウエアを合わせる。  V字襟のスクラブとは異なる、四角い襟ぐりのメディカルウエアは、ミッドナイトブルーのノ-カラ-ジャケットを合わせると、カットソーみたいに見えた。  ウエアもジャケットも丈が長めで、カバースカートを着用しなくても心配はなさそうだ。  ジャケットは、ホックを留めないと似合わないデザインだった。  胸の下のホックを留めると、大嫌いな胸部が強調されてしまう。まだ肌寒いこの時期、半袖のウエアだけでは耐えられない。長袖のインナーを持ってこなかったことが悔やまれる。  とりあえず今日はこれで乗り切ろう、と紗衣は腹をくくってロッカールームを出た。 「……お待たせしました」  事務スペースに戻って声をかけたのと、保坂事務長がパソコンから顔を上げたのは、同じタイミングだった。  保坂事務長は、呆気にとられている。  変でしょうか。  紗衣は不安になって訊ねようとしたが。 「似合う! ホテルのコンシェルジュみたい! 写真撮らせて!」  そういう保坂事務長は、紗衣と同じアンクルパンツとノ-カラ-ジャケットだが、インナーなメディカルウエアではなく真白いブラウス。背が高くスタイルも良く堂々とした彼女に似合っている。  紗衣は問答無用で風除室に連れ出され、お客様が出入りする前で撮影会が始まった。  風除室はちょうど日光が綺麗に入り、撮影日和と言えば聞こえは良いのだが。 「あれま、女優さんかい?」 「若い子がいるって、いいやいね」 「背が高いんだから、もうちっと太った方が綺麗に見えらいね」 「ほれ、にこにこ笑えい」  お客様は興味津々。好き放題言ってくれる。 「新しく入った子ですよ。優しくしてあげて下さいな」  保坂事務長はお客様をさばきながら、紗衣にデジカメを向ける。  紗衣は自分史上最大のスマイルをつくって応じた。  紗衣は自分が大嫌いだ。  167㎝もある身長。服選びに難儀する無駄に大きな胸も。ウエストとヒップライン。細身だと言われること。小さな双眸。暗い性格。  決して隙を見せたくない。
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