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実はサッカー経験者だったという運動能力は、32歳になっても劣っていないようだった。
薫は結婚式場を出ると、車の往来も気にせずに駆け出す。運動音痴の紗衣から見ても、綺麗なダッシュだった。
紗衣も涼太も、薫の後を追う。
止まることを知らずに駆け込んだのは、紗衣が果歩と待ち合わせをしていたハワイアンカフェだ。
薫はすぐに果歩を見つけ、戸惑う店員に目もくれず、果歩に歩み寄る。
果歩も薫に気づき、皿から顔を上げ、ナイフとフォークを置いた。今まさに、桃のパンケーキにナイフを入れようとしていたところだ。
「果歩。待たせて、ごめん」
立ち上がろうとした果歩を、薫は覆いかぶさるように抱きしめる。
「結婚して下さい」
時間が止まったように、ふたりは動かない。果歩は薫に手をまわすわけでもなく、微妙な表情で固まる。
パンケーキの上で、ホイップクリームが崩れ始める。とろとろの桃が、皿の縁まで転げ落ちた。
あ、と声を発したのは、薫の方だった。
「……じゃなくて、ぼくとつき合って下さい」
「言い直すな!」
無慈悲にツッコミを入れたのは、涼太だ。
果歩は、納得したように表情が緩み、薫の背中に手をまわした。
「よろしくお願いします」
それを聞いた薫は、弾かれたように果歩から離れる。その顔は、誰でも表面温度を知りたくなるほど紅潮する。
「自分が恥ずかしいわ。滅茶苦茶恥ずかしいわ。ペアチケットと花まで用意して、告白をすっとばすなんて」
「薫ちゃん、珍しいな」
涼太が言うと、薫は今更気づいたかのように無言で驚いた。涼太の陰の紗衣も認識すると、幽霊でも見たように、おたまじゃくしのような目を見開いた。
「ねえねえ、せっかくだから、何か頼もうよ?」
果歩はメニューを薫に渡す。
薫は渡されるまま受け取り、果歩の隣に腰を下ろした。
「ちょっと、そこのバカップル。座んなさいよ」
「涼ちゃんとお紗衣ちゃんも! 何か頼もうよ!」
紗衣は、涼太の表情を伺う。彼は綻ぶように微笑み、ご一緒しようか、と椅子を引いた。
ちょっと寄るだけだったのに、以前と変わらないように世間話にのめり込み、気がつくと夜の闇が空に溶けて広がっていた。
そろそろ帰ろうか、という流れになり、紗衣は無駄に大きな胸が締めつけられる心地がした。
果歩は、薫からもらった花を車の後部座席に積む。
「果歩、乗せてよ。ぼく、飲んじゃったのよ」
薫は目を細め、小首を傾げる。紗衣の記憶が正しければ、薫は飲酒していない。自分の車で来た、と誰かと話しているのが紗衣の耳に入ったのだ。
果歩は目をぱちくりさせて小首を傾げ、助手席のドアを開けて薫を乗せる。
「じゃあね、お紗衣、涼ちゃん。お幸せに」
薫は、ふたりに小さく手を振り、助手席のドアを閉める。
「お紗衣ちゃん、涼ちゃん、おめでとう」
果歩は運転席に乗り、車を出す。
街灯はあってもすっかり暗い駐車場で、紗衣は涼太を見やる。夜空には月が浮かんでいた。冷たさをたたえながらも、ほのかに温かみのありそうな、明るい月だ。
まるで、あの日の夜に見たような月。
「涼ちゃん」
愛称で呼ぶと、彼は微笑んだ。
「紗衣」
大きく温かい手が、紗衣の頬に伸ばされる。
蜜たっぷりのとろとろの桃を口に含んだように紗衣は甘さを錯覚した。
背伸びをして、愛おしい彼に近づきたくて。
恋人として初めて、ふたりは口づけを交わした。
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