第1章 男の人は怖いのに

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 4月19日。やってしまった。  朝のミーティングの前に掃除をしていた紗衣は、水モップを自分の脚にぶつけてしまった。  幸い、クローズトップのナースシューズには水がとばなかった。  しかし、ミッドナイトブルーのアンクルパンツは、ハイターで漂白されて鉄さびのような色に変わってしまった。  裾に少しだけはねたのなら、1回だけ折り上げれば問題ないが、両方の膝下が大胆に変色している。 「鈴村さん、ごめんなさい。同じサイズは置いてないの」  紗衣と身長の近い保坂事務長も、余分は持っていなかった。  パンツタイプでなければ、紗衣もロッカーに置いている。  絶対に着たくないのだけれど。  紗衣は恥を忍んで、試着以外に一度も着用したことのないタイプのユニフォームに袖を通した。 「鈴村さん、脚が綺麗! スッチーみたい!」 「今は“スチュワーデス”じゃなくて、“キャビンアテンダント”だよ。これだから“おばやん”は困る」  保坂事務長ら女性陣が盛り上がる中、青木先生は冷静に突っ込みを入れる。  紗衣はワンピースタイプのメディカルウエアを着用し、その上にいつものノンカラ-ジャケットに袖を通す。傍目からは、ズボンかスカートかの違いにしか見えない。 「鈴村さん、もうずっとそれでいて!」 「おい“おばやん”、それがセクハラなんだってば」  4月も半ばを過ぎれば、寒さは緩んでくる。それどころか、暑い日もある。  今日は晴れて暖かくなる旨が、スマートフォンの気象情報アプリに表示されていた。  しかし紗衣は、下腿が寒々しくて仕方ない。  ワンピースは膝丈だが、普段は膝下丈しか着用しないから、膝が露わになるだけで恥ずかしい。  ミーティングの最中も、紗衣はスカート丈が気になって仕方がない。  スタッフの輪の外に目をやると、望月涼太と目が合った。彼は紗衣に気づいたが、特段気にするようでもなくすぐに目をそらした。  ――お紗衣には、心を寄せるお相手がいらっしゃるのかしら。  薫の言葉が脳裏に(よみがえ)った。しかし、業務が始まればすぐに頭の片隅に転がってしまう。  心を寄せる相手なんて、いるわけがない。  紗衣は自分に言い聞かせている。 「代わろうか?」  先輩事務スタッフに言われた。  保険証と診察券をお客様に返却するのを、代わりにやってくれるという。紗衣がスカートを気にするのを、気遣ってくれている。  しかし、紗衣は断った。紗衣は、まだ先輩の業務ができないから、仕事を代わるどころか負担をかけてしまう。  紗衣は昼休みのうちに、通販サイトでアンクルパンツを注文した。予備も含めて2着。届くのは、1週間後。19時から20時の間に、自宅に。  あと1週間我慢すれば、もとのユニフォームに戻ることができる。  1週間は、4月26日。  毎月26日は、シチューの日と決めている。それと、憂鬱になりやすい日。
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