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ある土曜日の朝、俺は部活へ行く前に母に聞いてみたかったことがあった。改名してからはちゃんと「陸」と呼んでくるのにぴんと来なかったからだ。
「どうして母さんは俺が改名するって言ったときに止めなかった?絶対一生懸命考えた名前だし、特に母さんは思い入れがありそうだから嫌がると思った。一度も反対しなかったのは何でなんだ。」
母の洗い物をしている手が止まる。一生懸命ためたシールで当てた真っ白な皿を置くとゴム手袋を外してコーヒーを飲んだ。
「実はね、お母さんは最初、陸が改名したいって言ってきたとき本当は戸惑ったの。お母さんの世代の人ではそういう制度も無くて改名する人を実際に見たことはなかったから…。そして一生懸命考えた名前を自慢の息子に付けた数年後に簡単に改名できるようになったの。その時はまさか自分の身の回りで、ましてや息子が改名するなんて思わなかったの。でも自分で決めたんだったら応援してあげたいし、私は18歳なんてもう大人だと思うの。だから何も言わなかったのよ。」
そういってほほ笑む顔は今の俺にとって新鮮だった。
「でももしいつか大空かなたに戻る日が来るなら…」
ゴム手袋を履き、皿洗いの続きをする。
「もし来るなら、私が生きてる時がいいなとは思うよ。」
再び水の音がしている。沈黙のない、会話だ。
「そうか。そういうことか。」
少しきつい靴を履き、つま先で床を蹴りながらちっちゃい声でつぶやく。
「いってきます。」
「はいはい、いってらっしゃい。」
この時間帯に聞けて良かった。でないと、もっと長い話になりそうだった。もう少し詳しい話はまた今度の特別な時に聞きたい。
俺はやっと自分らしく生きられている気がする。学生証も何もかも変わったが、一つは変わらない。俺は俺であるということ。
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