【憧れの人】

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【憧れの人】

小さい頃から、自分に自信が持てなかった。 周りの女の子はみんなキラキラしているように見えて、自分を鏡で見る度に砂利道に転がる土まみれの石を思い出した。 それを何度も繰り返しているうちに人と接するのが怖くなって、引っ込み思案に拍車がかかった。 近所の国丸くんとは一緒に遊ぶ仲は変わらなかったけど、ある日彼にも言われた。 『真奈って、顔変だよな。その赤い点々なに?』 思春期の時期に言われた、無邪気で残酷な言葉。 当時悩んでいたニキビを直接指摘されて、涙目になりながら国丸くんの家を飛び出した。後ろから何度も呼ばれる声が聞こえたけど、全て聞かないことにして、逃げ出す様に走った。 息が切れる頃には神社の境内の裏手に回って、隠れるように蹲っていた。 誰にも顔を見られたくなくて、なんで自分はこんなに変なんだろうって自己否定を繰り返して……。 「真奈ちゃん見ーっけ」 自分の世界に籠っていた私を、優菜さんが見つけてくれた。 優菜さんは、国丸くんのお姉さんだ。国丸くんにはお兄さんとお姉さんがいて、全寮制の高校に行っているお兄さんと、自宅から女子校に通うお姉さんがいる。 家に遊びに行くとたまに顔を合わせて、おしゃべりをしてくれる優しいお姉さん。 今も目の前で微笑みかけてくれると、涙でグチャグチャになった私の顔をハンカチで拭いてくれた。 「まったく、アイツにも困ったものだよね。女の子を泣かせるなんて」 「……でも、私が、変だから……」 「真奈ちゃんは変じゃない! あと、どんな理由があっても女の子を泣かせる奴は許すべからず!」 「戻ったら年上としてしっかり教え込まないとね」。 なんて言いながら笑った優菜さんはとても綺麗で、私もこんな人になれたら……なんて、無理な憧れを抱いてしまった。 「……ねぇ、優奈ちゃん。ちょっと肌に触れてもいい?」 「え? でも、顔――」 「変じゃない。さっき言った言葉を、証明したいんだ」 優菜さんはそう言うと、現れた時に手に持っていたメイクボックスを軽く叩いて優しく笑った。 「大丈夫。……全部、任せて」 ゆっくりと頬に触れた手の温もり。 瞼を閉じるように促された、目元への口付け。 相手は年上だけど同性の女の人なのにすごくドキドキしたのは、今まで生きた人生であの時だけ。 「――ほら、目を開けて」 触れていた指先が離れる名残惜しさと共に目を開けて、優菜さんが用意してくれた鏡の中に写る自分を見つめる。 「あっ……」 「ねっ、変じゃないでしょ? むしろ、すごく可愛い」 鏡を見る度に、自分が嫌になった。 どうして他の人と違うのか。こんな自分は嫌だ。変わりたいと、ずっと願って泣いた。変わる術が、自分では分からなかったから。 だけど目の前の――鏡の中に写る自分の姿は、好きになれると思った。憧れの自分がそこにいて、ほんの一時――優菜さんがメイクしてくれたこの時だけは、自己否定だらけの自分を肯定してあげることが出来た。 「真奈ちゃんが泣きたくなるくらい辛い思いをしなくても大丈夫だよ。誰だって、なりたい自分になれるから」 せっかく綺麗にメイクをしてもらったのに、ボロボロと零れた涙はそれらを落としてしまう。 だけど優菜さんは隣で「可愛い顔が台無しだよ」と笑うだけ。 「……けど、なりたい自分になる方法が分からないなら教えるよ。真奈ちゃんがなりたい自分なるお手伝い、してもいいかな?」 優しくて、温かい言葉。 私には充分すぎるくらいの温もりにまた涙すれば、優菜さんは抱きしめて髪を撫でてくれた。 せっかくのストライプのシャツにファンデーションが付いても「気にしないで」と笑ったり、「むしろ、真奈ちゃんを抱きしめられて役得!」なんて、不思議なことを言ったり。 それが、十年以上の話。 あの後優菜さんや国丸くんのお兄さんは都会へ行って、私も地元の大学に進学した後、就職の為に都会に出た。 優菜さんが言ってくれた、『誰だって、なりたい自分になれるから』。 その言葉をおまじないのように呟きながら、教えてもらった美容方法を続けて、私は今ここにいる。 そして……、 「この度はお世話になります。チーフマネージャーの国丸優菜です」 目の前に、憧れの人がいた。 うちのデザイン会社と、大手企業のコラボ企画。その打ち合わせで先輩と訪れた先に、優菜さんはいた。 昔と変わらない綺麗な肌と、凛とした立ち姿。私が憧れた人が、変わらずそこにいる。目の前の現実に驚きを隠しきれない。けれど、すごく嬉しくて震えてしまう。 だから私は打ち合わせが終わった後、優菜さんに声をかけた。「お久しぶりです」と。……しかし、 「ごめんなさい。どこかで会ったかしら?」 彼女の記憶から、“私”という存在は消えていた。
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