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第二章 1
香川先生は出迎えの人達を見回し、祐樹に目を留めるとカルテを見て心臓に重篤な欠陥を見つけたように目を見開いた。まるで、祐樹がここに居ることが信じられないような目つきだった。気弱げな光を宿す彼の瞳の力が強くなったような感じだった。
が、それも数秒のことで、黒木准教授に丁重な挨拶をしている。
――あの目つきはきっと気のせいだろう――
そう思った。見覚えのある顔だったが、印象には残っていない。学年が違うとはいえ、同じキャンパスに居たのだから、こんなに好みの顔とスタイルをしている香川先生は絶対覚えが有るはずだ。しかし、それが無い。不思議だな…と思っていた。
祐樹が物思いに耽っている間に一通り挨拶が終ったのだろう。黒木准教授がこの場を代表して言った。
「長時間のフライトさぞお疲れでしょう。どこかで休憩がてら…お茶でも」
「時間が許せば、熱いコーヒーが飲みたいわ。いいかしら、サトシ」
ゲイである自分が見ても美人だと思う内科医が言った。
「ああ、ちょうど喉が渇いていたところだ」
「田中君、先生方がくつろげるような喫茶店はあるだろうか。ご紹介が遅れました。我が医局の研修医の田中祐樹です」
「どうか宜しくお願いします」
この場では一番目下が自分だ。せいぜい悪印象を持たれないように丁寧に頭を下げた。
「田中君、どうか宜しくね」
赤い口紅を塗った口角を魅力的に上げた内科医は――もの思いに耽っていたため名前を聞き漏らしてしまった。まぁ、会話の中に自然と出てくる固有名詞だろう。それまでは「先生」と呼んでおけば失礼ではない――
「こちらこそ、ご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」
「田中君と言ったね。口は上手いようだが手術のほうもそれに比例すればいいのだが」
先ほどの内気そうな表情はなりを潜め、強気で傲慢な口調で言い放つ。
「先生のご指導を仰ぎまして、向上に努めます」
内心はむっとしたが、上司だ。笑顔で挨拶した。
自分が笑顔を見せると香川先生の瞳に微妙な動揺が現れたのは気のせいだろうか。
「空港と隣接しているホテルの喫茶室では如何でしょうか」
黒木准教授を始め、皆の表情を窺った。
「それで良い。あそこは落ち着いているからな…」
一同を代表して香川先生が言った。現時点で一番偉いのは黒木准教授だが、辞令が出ると香川先生が教授と成り、黒木先生を追い越す。一座で一番発言力を持っているのは香川先生だ。
一同で、ホテルの喫茶室に落ち着く。全員がホットコーヒーを注文した。黒木准教授以外はブラックで飲んでいた。三人とも肥満を気にしないでいい身体つきだったのだが。
祐樹の視線は香川先生に釘付けになりそうだったが、流石に未来の上司の顔をジロジロ見るのはマズいと判断し、手元を見ていた。
いつか見た手術の時の映像では手術用の手袋をしていたが、今回は何も着けていない。三月という季節では当たり前のことだが。
しなやかで白く長い指は、なまじの女性では敵わないだろう。その指が動くさまから目が離せない。
性格はともかく、顔と指は祐樹の好みにジャストミートだ。
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