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第二章 6
医局に戻る道すがら香川教授と同学年だった、柏木先生から声を掛けられた。
「お前、凄い度胸だな。いきなり教授にけんか腰で話すなんて・・・俺には出来ないよ。しかし、あの場に居た皆はお前の意見に賛成だと思う。まぁ、香川先生の神業を実際に見られるのだから俺たちも運はいいのだろうな・・・」
咄嗟の衝動であんなことを言ってしまった。あまり後悔はしていないが、あの傲慢な性格は我慢出来ないほど苛苛する。
「回診まで時間ありますよね。ちょっと煙草吸って来ます」
通用口のいつもの喫煙所には先客が居た。山本センセだ。こちらも憤懣やるかたなしといった感じで、煙草のフィルターを噛み千切る勢いで煙草を親の仇のように吸っている。立ち上る紫煙の量が多いのも深呼吸により肺が膨らんでいる証拠と見当をつけた。
まだ、一般の職員が出勤してくるには早い時間だったので、こっそり見詰めている祐樹と山本センセしか辺りには居ない。山本センセは誰も居ないと思いこんでいるらしく――普段から血圧は高めだったが――今はもっと上昇中なのか、それとも怒りのせいなのか真っ赤な顔をしている。
その上薄い頭髪からは透けて見える頭皮から湯気が出そうな感じだった。
が、彼を慰める気にはなれずに近くの喫茶店に入ってホットコーヒーを注文してから煙草に火を付ける。いつもはブラックで飲んでいるが、気分を落ち着かせるために砂糖を一匙入れる。
気分は最悪中の最悪だった。あの憎たらしい教授に一矢報いるのはどうすればいいのかしばらく考えてみたが、自分に出来ることはないことに気付く。
いっそのこと煙草を五本まとめて吸ってみたい衝動に駆られる。
どうしてくれようか・・・と、思っているとフト内科(今は外科所属だが)の長岡先生と香川先生との関係を疑ってしまう。香川先生は独身だと聞いていたが、長岡先生はどうなのだろう。
これで配偶者でも居て、不倫でもしていてくれたら絶好のスキャンダルだ。今は財界人御用達のお堅い雑誌を中心――中には普通の人間が読む週刊誌もあったが――に「心臓バイパス手術のゴットハンドと異名を取る香川医師が帰国して日本の大学病院で執刀する」といったような記事が出、それが医局の皆が回し読みしていた。
そんな香川教授が不倫・・・となると、どちらかといえば低俗な週刊誌なら飛びつくかもしれないな・・・と思う。
二人の関係と長岡先生の身辺調査・・・、普段の自分ならこんなことは考えもしないだろうが香川先生のことは妙に気分がざわめく。
ああいう怜悧で白皙な顔は好みだった。しかし性格は、まったくもって気に入らない。
しかも、今朝の発言で相当睨まれるはずだ。ど田舎に飛ばされた方がマシだったかもしれないようなパワーハラスメントを受ける可能性すらある。こちらも防御態勢に入らなければならないな・・・と思う。
弱みを握っておくべきだ。そう思って、灰皿に煙草を思い切り押し付けて消した。へしゃげた煙草を見て、香川先生のプライドがこうなって欲しいと切実に思った。もちろん患者さんに迷惑は掛からないやり方で、だ。
店を出て足早に病院に戻る。医局に入ると、医局長の畑仲が祐樹の顔を見て一瞬気の毒そうな顔をした。
「香川先生が至急教授室に来るようにと仰ってた。それと、午後の手術にも入ってもらうと」
頷いて重い足取りで最上階にある教授室に向かった。医局のような安っぽいプラスチックの扉ではなく重厚な木の扉の前で一瞬躊躇し、深呼吸を一つ。それからノックをした。
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