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第二章 7
重厚な木の扉をノックすると、「誰だ」という返答が有った。
「研修医の田中祐樹です。お呼びと伺って参りました」
「・・・どうぞ」
何か、作業でもしていたのだろうか。一瞬の間があって入室を許される。大きな窓を背にして教授用のデスクがある。その椅子に座ったまま、香川教授は来客用のソファーセットに祐樹を座らせることなく、「こちらへ来てくれ給え」と自分のデスクに招いた。当然、教授用のデスクの前には椅子がなく、立ったままでの応対になる。
それにしても作業していたという痕跡はないのだが。午後の手術のイメージトレーニングでもしていたのだろうか。
白皙かつ怜悧な顔で、香川教授は、手際よく数枚の電子カルテをアウトプットした紙を大振りの封筒から取り出すと祐樹に渡した。そして部屋のいかにも値が張るだろうと思うカーテンを閉め――医局はプラスチックの味気ないブラインドだ――レントゲン写真を、投影機に固定した。
「畑仲先生から聞いていると思うが、午後からの手術は君も入ってもらう。その前に、君と是非話したくてね。呼び立ててしまった。忙しいところ済まないな」
全く済まないとは思って居なさそうな冷静な顔だった。済まないと思うなら呼ぶなと言いたいところだが、黙っていた。
「このカルテとレントゲン写真を見て、君ならどう手術するかね」
声は低く滑らかだが抑揚のない声で言った。
何となく、医学部の学生だった頃の口頭試験を思い出させる。
「内科的な準備は整っているのでしょうか」
「それなら問題ない。長岡先生がアメリカ時代に受け持っていた患者だ。日本に搬送されて来てからも、長岡先生の元には逐一病状報告が入り、それに従って長岡先生が投薬の指示を出していた。内科的アプローチは完璧だ」
少しだけだったが、長岡先生の話をする時は形のいい唇が弛む。
――余程信頼しているか、長岡先生に特別な想いがあるか、だろうな――
「失礼します」
いくら最高に気に入らない人間であっても、上司は上司だ。心ならずも礼儀は必要だ。
カルテとレントゲン写真をじっくりと検討する。
この患者も並みの外科医ならば、手術という選択肢は諦め、内科的な治療で寿命を延ばす方を選んだハズの厳しい病状だ。ポスピス――終末期医療のために積極的な治療ではなく、患者さんの生活の質を高めるために末期ガン(これは一般的な用語で医学的には「悪性新生物」と言うのだが)の患者にはモルヒネを与え、末期ガンの苦痛を緩和し、カウンセラーや宗教家なども呼んで「死とは恐いものではない」という患者さんの心のケアを優先させる施設だ――を勧める医者も居るだろうが、それは医師の怠慢ではなく、患者が手術に耐えられる体ではないと殆どの外科医は判断するだろう。
「手術が前提ですよね」
そう確かめてから――自分ならどう手術するかを脳裏にイメージする――。
自分なりの手術の段取りを香川教授に話すと冷笑された。なまじ顔立ちが整っているだけに余計に気持ちがささくれ立つ。
「酷い点で落第の解答だ。まず一点目、この患者は体力的にもかなり弱っている。そんな迂遠なやり方をしたら、手術中に死亡する可能性が極めて高い。
次にこの部分なのだが、この部分は近くに大動脈が通っている。それは医学生でも知っていることだが、どうやら君は知らないようだな」
唇を歪めて軽蔑の眼差しで見られてしまった。眉間にも盛大に皺を寄せている。
「君は医師免許を返上して、医学部にもう一度入りなおしたらどうだ」
毒舌を吐く形の良い唇を、――今に見ていろ!!――と思いながら見ていた。
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