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第二章 17
朝8時、救急外来の医師に特別にあてがわれている仮眠所のベッドで目を覚ました。
目覚めは最悪だった。――ちなみに、仮眠所と言っても楽々手足が伸ばせるソファーが数台と毛布が置いてあるだけの場所だ――
昨夜は、祐樹が見た投身自殺の患者の他にもう一件自殺者が運ばれて来たり、バイクと車の人身事故で殆どDOAに近い搬送があったり、花見で浮かれた患者が同僚と共に河へ飛び込み、心臓停止で運ばれてきたりでてんてこ舞いの忙しさだった。
ちなみに、バイクに乗っていた患者が心臓停止し緊張が高まったが、阿部師長の鶴の一声で担当は祐樹になり、何とか無事命は救えた。
昼は通常業務、夜はここでの業務となると流石にポジティブシンキングの祐樹でも体力と精神力が保つだろうかと先行き不安だ。深夜の緊急手術が三例もあったが、阿部師長に聞くと「これでも暇なほうよ」と微笑まれた。
阿部師長は救急車の搬送依頼を断らない。「ベッドの数のつじつま合わせをしてでも受け入れる」というのは、救命率が下がり、病院の評価を下げる。それでも受け入れているのは、阿部師長の職務の熱心さも有ると強く推察されるが、邪推もある。
独立法人になった国公立の大学病院の採算を取るためだ。香川教授が異例中の異例の若さで教授になった裏の事情が事情なだけにそう勘繰りたくもなる。救急車で搬送され、緊急入院になった患者は生死を問わず請求書は発行され、病院の収入源となる。
それにつけても、こんな激務にさらされるハメになったのも香川教授の差し金・・・と思った時、彼の明眸皓歯の顔が脳裏に蘇る。彼の傍若無人な命令はとてもとても怨めしく思っているが「怨めしい」という感情だけでは何か割り切れない思ういがする。
自分でも自分の気持ちの把握に困惑してしまうが「香川教授結婚」というウワサに何故か動揺したのだろうと。
自分の特殊な性癖を深く自覚しているだけに「結婚」に対する憧憬はない。それだけは確かだ。ならばどうして――と思う。
香川教授と長岡先生ならお似合いのカップルになれるだろうと客観的には思うが、何となくモヤモヤとした感情が脳に(医学的には脳が感情を司るというのが常識だが、この場合は心臓で考えているのではないかと真剣に疑ってしまう)宿ったまま消えない。
もともと祐樹の恋愛遍歴のスタートは相手からの告白によって始まる。学生時代からの馴染みのゲイバー「グレイス」――かつて、オーナーに命名の由来を尋ねたところ、往年の大女優「グレイス・ケリー」から取ったと聞かされた。ゲイバーの店名に女優の名前というのはミスマッチ過ぎて笑える。
ただ、このゲイバーは一見の客は入って来ないのでそれはそれで構わないのだろうが。
常連ばかりで話す店と言っても、やはり出会いはあるし、恋愛沙汰も生まれる。
祐樹は好みが自分とそう歳の離れていない少し繊細な美貌に弱い。あまりそういう客は来ないが、常連さんが連れて来ることもあり、告白されて付き合うというパターンだ。
もてるというのは気分が良いが、自分から告白した相手は居ない。付き合ってはみたものの、祐樹が本当の職業を隠したまま付き合っていたので、なかなか逢う時間が取れないことに業を煮やした相手が別れ話を突きつけられる。不誠実な男と思われてしまうらしい。本当の職業を告白していないだけで他は誠実だったと思うのだが。
ぼんやり物思いに耽っていて時計を見てギョっとした。通常業務の出勤時間までそんなにない。慌てて身支度を整え、禁止されている廊下での走りをしてぎりぎり間に合った。
今日は香川教授の総回診だ。遅れるわけにはいかない。
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