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1998年6月。日本を沸かせた空前の好景気はとうに鳴りを潜め、雑踏を見渡せば肩摩轂撃の様相を見せる。泡沫の絶頂に未だ囚われている者、不景気こそ好機とばかりに野心を燃やす者、そして過去も未来も無くただ刹那的に今を謳歌する者。 この混沌とした平成初期を振り返る際、重要なキーワードのひとつに『 オカルトブーム』が挙げられる。 1973年、『 ノストラダムスの大予言』を皮切りにユリ・ゲラーやネッシー、映画『 エクソシスト』にコックリさん。多種多様なオカルトが社会現象となり、そのオカルトブームは25年の歳月を経てここに最盛期へと至る。オカルトブームの火付け役となった『 ノストラダムスの大予言』に記された一節。恐怖の大王が人類を滅亡させるだろうと予言されたXデーが翌年に迫っていたことが最も大きな理由であることは想像に難くない。 しかし、この時代を生きる誰もが泡沫の好景気の終焉と同時に、鬱屈としたコールタールのような何かを心の中に抱えてしまったことも理由の一つだと私は考えている。このドロドロと纏わりつくコールタールのような何かは破滅願望と呼ばれる物へと昇華し、モジュールの等しい歯車のように恐怖の大王の予言と噛み合い始めたことで、オカルトブームは絶頂を迎えたのではないだろうか。 そんな大人たちの事情など露も知らず、当時小学三年生だった私は遊ぶことこそ自分の仕事と疑わず、学友との語らいを満喫していた。しかし、五年ほど前に癲癇の発作を起こし意識を無くした経験を持つ私は、学校で過ごす時間以外は外出を許されず、その息苦しさから世の大人たちと同様にコールタールのような何かを抱えてしまったのであろう。結果として、テレビや噂話から耳に入るオカルトに、あたかもそれが必然であるかのように、どんどんと傾倒してゆくことになる。 多分、学友の誰かが昨晩観たテレビ番組の話題で盛り上がっていたのだろう、『 UFOの日』という言葉を知った。由来などは知らなかったし、盛り上がっていた当人たちもそんなことまで把握してはいないだろう。ただ、6月24日がUFOの日であるということを私は知ったのだ。 当時の私はなんと短絡的であったことか。UFOの日なのだから、UFOを見つけることが出来て然るべきだと、そう考えていた。まして、その考えを疑おうなどとは微塵も脳裏を過ぎらない。今日は6月19日、金曜日。 ーーまだ、間に合うじゃないか。 その時の私は、ひたすらに憧れていたのだろう。心に抱え込んでしまったコールタールのような何かを吐き出させてくれる存在に。あるいは、吐き出さずに昇華させたかったのかもしれない。 UFOに会いに行くと心に決めた私は、学校から帰宅すると靴を揃えることも忘れるほどに慌ただしく準備に取り掛かる。 まずは双眼鏡。これは何を置いても必須だと思った。我が家の押し入れに親が双眼鏡を仕舞っていたことを知っていた私は、これ幸いとばかりに重く厳つい双眼鏡を手に入れた。 実際にUFOが現れたら、遠くから双眼鏡で見るだけで私は満足できるだろうか。いや、できるはずがない。と、思い至った私は使い捨てカメラを手に入れようと考えた。 しかし、私は外出を禁じられている身だ。自ら買いに行くことはできない。ならば親に頼むしかないのだが、怪しまれ目的を聞かれることは目に見えている。 私は目いっぱい悩み抜き、来週の栗林公園での校外学習に必要だから、使い捨てカメラを買ってきて欲しいと親に頼み込むことにした。 さて、準備は整った。だが、私は24日にUFOが見れることは知っていても、何処で見れるのかまでは知らなかった。そして、幼い私の思考が帰結する先は、当然ではあるが実に単純であった。高い所へ行く、ということである。 当時の私が知る最も高い場所といえば、山である。我が家からも、学校からも見ることのできる、石清尾(いわせお)山という山である。しかし、見えてはいても、一人で外出した事の無い私はどのように歩けば石清尾山へ到れるのか分からなかった。 月曜日。仲の良い学友に、石清尾山までの道のりを口頭で教わった。下手糞な地図も描いてもらった。これでもう、何も憂いは無い。今の私は何でも一人でこなせると、理由の存在しない全能感を抱きながら24日、水曜日を迎えた。 この日の朝は、いつにも増して早く目が覚めた。恐らく6時前だっただろう。親も直に起きてくる。その前に、学校の給食袋に双眼鏡と使い捨てカメラを乱雑に仕舞い込む。 7時30分。親に怪しまれないように、いつものように玄関を出た私は、見送る親の姿が見えなくなったところで立ち止まり、弾む呼吸を整える。期待、興奮、不安。様々な感情が綯い交ぜになった、初めて感じる心の昂りに浸りながら、私は学友に教わった通り石清尾山へ向かい歩き出したのであった。下手糞な地図を強く握りしめながら。 歩調は、いつもより早かったと記憶している。
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