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ハイオク、満タンで
ガソリン車が世界から排除されて久しい。
イギリスのガソリン車の製造を廃止する流れが着実に進み、全世界でガソリン車の新車の開発は終了した。
世界中のガソリンスタンドは全てが充電スタンドに変わり、ガソリンをばら撒く古い車を愛する者たちは半ば悪人扱いされ、やむを得ず手放す始末。
ついに世界中でガソリンの販売が終了し、ガソリン車は街を走ることが出来なくなった。
「空気が綺麗になった気がするんだ」
「結局発電の段階で空気は汚染してるんだぞ。気のせいさ。無意味な政策だよ全く」
街中ではそんな会話が度々聞こえた。
批判も多く世の中のガソリン車マニアは強くその政策に反発したが、圧倒的に絶対数が少ないために、世の流れに負けるのは時間の問題であった。
更に時が経ち、都心でも車の排気音を一切聞かなくなった。
サーキットで聞くのもモーター音とタイヤの鳴く音のみ。
いつもは爆音のエンジンサウンドにたびたびかき消されていた、スピーカーから聞こえて来る実況の声もよく聞こえるようになったってもんだ。
政策が始まってから産まれた子供は、産まれてから一度も排気音とエンジン音を聞いたことがないなんて始末だった。
ガソリン車を愛する1人、手嶋 智樹は、この政策で唯一の趣味を奪われ、生きがいのない日々を過ごしていた。
同じ境遇にいた妻の美穂も、同じように死んだ顔で生きていた。
2人の出逢いは、それもまた車だった。
同じローバーのミニというガソリン車に乗っていた2人は、偶然峠の展望台で出逢い、惹かれあった。
「車どうする?待ってても乗れないよ」
「思い出だし、ガレージあるから置いておきたいかな。どうせ売ったって電気自動車の材料になるだけだし、形だけでも残しておきたいよ」
「そうだね…適当な電気自動車買って、あの子たちはしまっておこうか」
ガレージに仕舞い込まれた二台のガソリン車は、いつでも洗車され、綺麗な状態を保ってはいたが、それでもエンジンの音を響かせることはなかった。
彼らの住む家に電気自動車が納車され、智樹は助手席に美穂を乗せ、買い物へと向かった。
「…つまらねぇよ。こんな車」
「なんて言うか、乗らされてる感じがすごいね」
「実際そうさ。無理やり買わされたようなものなんだから」
車に乗っているのに、聞こえるのはモーターの音と随分良い音質のオーディオ。
ハンドルは軽く、バックギアに入れればもれなくディスプレイに後ろの映像が表示される。
スピードメーターだって当たり前のようにデジタル。
携帯と連動する機能なんて5年前から標準装備だ。
エアコンもパワステも無い彼らの車と、とても同じ製品とは思えなかった。
電気自動車の電気の発電は、各国で専用施設が行っていた。
そしてその国々の設備をまとめるコントロール施設が、東京に建てられた。
なんでも、イギリスのお偉いさんは車の文化がそこまで栄えていない国を大変お好みなさったらしい。
それが東京にその施設が作られた理由のようだ。
おそらく、ガソリン車撤廃に対しての反発が起きにくい国を選んだのだと思う。
「全ての発電施設は、このGeneral e tower1つで制御しています」
「…素晴らしいね。街中の騒音問題も全てなくなったし、この政策は大成功だな」
「おっしゃる通りです。日本では若者の暴走族等の問題も無くなりましたしね、ガソリン車が撤廃された事で治安も良くなりましたよ」
「やはりガソリン車なんていらないんだよ。空気を汚す上にうるさい。良いことなんてないのさ」
智樹は、今日もガレージから出ることのない車を眺めていた。
「お前に乗れている時は楽しかったよ。ほんとに。今でもきっと、ガソリンさえ入れりゃ走るんだろうけどさ…」
智樹は、たまにこうして愛車に語りかけていた。
何年経っても、彼らの車はホコリひとつ被らなかった。
……。
「…なるほど、それで、必要な電力は?」
「数字にすると膨大すぎますが、その対象はございます。東京にある、General e towerをジャックすることで、ミサイルの発射に十分な電力を補うことができます」
「どうすれば良い?ジャックと言っても…」
「今世界各国には、ガソリン車が存在しません。全ての車はコンピューター制御で動いております。8割が自動運転車、残りの2割もハッキングすればものの数分で制御をこちらで行うことができます」
「と言うと?」
「まず、タワー本体をジャックし、全ての車への電力の供給をストップさせます。そして全ての車をハッキングし、遠隔操作で暴走させるのです。1日も経てば、世の中の車は充電切れになり、電力の供給の行き場がなくなります」
「なるほど」
「ですがタワーは変わらず発電を続けます。その発電した電力をこちら側に引けば良いだけです。2日もあれば、うちの新兵器も打ち上げることができますよ」
「そうすれば、十分な攻撃力を持ったまま、アメリカまで飛行することが出来ると」
「左様です。明日、優秀なハッカーが5名ほどやって来ます。彼らの到着次第、タワーのハッキングに入りたいと思います」
「素晴らしいな。頼んだぞ」
世界中で、とは言っても、ただ1国のみ、その政策に乗らない国があった。
その国は、このとんでもない計画を見越して、その政策に便乗しなかったのである。
彼らの国は、いわゆる戦争で成り上がって来た国である。
故に核兵器の開発も上等。
しかし、十分な攻撃力を持ったミサイルを開発することができないでいた。
だが、とある開発者が、今までとは異なり電気だけの力で全てを賄うミサイルを開発。
そして、その電力を東京のGeneral e towerから強奪すると言うとんでもない計画を企てていた。
この国に潜んでいたスパイが、タワーに盗聴した情報を送った。
「とんでもないことになるぞ。ここ2日の間に手を打たなければ、世界中が混乱に巻き込まれる」
しかし、打つ手がなかったのである。
ここまで綿密に企てられた計画、スパイがいることも把握されていた。
だから敢えて泳がした。
本当は、ハッキングは…
この瞬間に始まっていたのである。
世界中で暴れ出す車たち。
「何事だ!?」
「勝手に!?止まらない!!!」
歩行者は次々にはねられ、建物に突っ込む車、同士でぶつかり合い炎上する車。
一瞬で街は混乱を招いた。
その混乱の中、家に避難した智樹と美穂は、見知らぬ番号からかかって来た電話を受け取った。
「はい?」
「政府の者ですが、手嶋 智樹さんで?」
「そうですけど…」
「あなたに助けを求めたい」
「…この混乱の何かですか?」
「あなたはまだガソリン車を保管しておられませんか?廃車登録されてから、時間は経っているようですが…」
「うちには、二台あるけど…」
「!!!!その車、ガソリンさえあれば動く状態ですか!?」
「…つまりそう言うことか。その通り、動くよ。ガソリンさえあればね。でもあんたらが無くしたおかげでそのガソリンがないからオブジェと化している」
「うちに、たった20リットル程ですが…ガソリンが保管されているのです。特別な環境で保管されていましたから、腐ってはいません」
「…どうしろと?用件を早く」
「失礼。あなた方の所有する車の大きさなら、都内の混乱の中でも進んで、タワーに向かうことができないかと…。結局、タワーの主要部を爆破させることが必要になりまして。建築段階の設計図から、破壊するための場所と火薬の量は分かりました。問題は、そこに爆弾を設置することなのです…」
「この混乱の中を、その20リットルのガソリンで走って、その任務を果たせと。どれだけ危険が理解してるよね?」
「当然です。今は…あなた方だけが頼りなんです…」
気付けば、世界にガソリン車は2台しか存在していなかったのである。
「…分かったよ…。ちゃんとハイオクだろうな?」
「当然です」
「…で、そのガソリンをどこで受け取れば良い?」
「今ドローンでそちらへ飛ばします」
時代も進化したもんだ。
ドローンで空輸かよ…。
1時間ほどで、20リットルのガソリンが届いた。
「二台に給油をお願いします。どのくらい走れますか?」
「嫁さんのは10リッターもあれば150キロは走るだろうよ。でも俺のはいじっちゃってるから、多分、60キロが限界」
「そちらからタワーまでの距離は?」
「片道40キロ。だから嫁さんのに6リットル入れて、俺のに14入れる」
「どうか…よろしくお願い致します…」
「美穂」
「別れの挨拶のつもりならやめて、悲しくなる」
「いや」
「ガソリン車の素晴らしさを見せてやろう」
「…そういうこと。任せてよ」
「生きて帰るぞ」
「もちろん」
世界中の大きな期待を乗せた小さな二台は、東京のGeneral e towerへと向かうために、久しぶりに嗅ぐことが出来た香ばしい匂いのする薄ピンクの液体を補給され、準備万端であった。
全ての車は、遠隔操作されたことで混乱を招いた。
「ハッキングによってミサイルが発射出来るようになるまでの電力を確保するのに、おおよそ10分です」
「すべての車への電力配給がストップしてすぐ、世界中は大変なことになるぞ」
「はい。あと1時間もすれば、全ての車が停止するかと」
現時点での死亡者、行方不明者は測り知れない。
最新技術で建てられた建造物もかなりの数が倒壊しており、道もまともに走れる状態ではなかった。
だが、タワーだけは無傷であった。
遠隔操作でタワーにだけは近づかないように制御されていたのである。
「このタワーの根本が発電施設です。対象の、コンピューターで電波の送電を送っている部屋があるのが西側で────」
「タワーに行くまでの道がかなり狭く…あなた方の車であれば、もしかしたら入れるかも知れません…」
出発前に電話で色々聞かされた。
まるで自分は特攻隊で、見送られているかのような気分であった。
「生きて帰るぞ、美穂」
「当然だよ」
「比較的交通量の少ない道を選んでください。ですが…都内はかなり、混乱しています。そこを通らないとタワーには行けません…」
「了解。成功を祈っていてくれ」
キーをひねる。
低く、乾いた音がガレージに響き渡った。
「…おかえり…良い声だ」
「…本当に久しぶりね。ちゃんと走ってよ。みんなの希望載せてるんだから」
「あと爆弾もな。遠隔で爆破するものだから衝撃でどうこうはないらしいけど、それでも不安にはなる」
「大丈夫。きっと」
2台のミニが公道に出る。
何年ぶりだろうか。
ここ数年一切聴かなくなった排気音を撒き散らしながら、暴走する車の間を縫って2台は40キロ先のタワーへ向かった。
「…2台、こちらの遠隔操作では制御されていない車がいるようです。ドライブレコーダーからハックした映像が…」
「…古い車だな…こんなヴィンテージがまだ実在してたのか…?」
「タワーに向かっています。もしかして、何か企んでいるのでは…」
「主要な送電装置は簡単に壊れる…もしや…」
「爆弾か何か積んでいるかも知れません。すこし、あの2台から出ている電波を漁ってみます」
都内に入り、段々と暴走する車が多くなるかと思いきや、家を出た頃と大差はなかった。
代わりに、大破した車があちこちに散らばっていた。
「想像より大人しいけど…」
「電力使い切った車が増えてるんだろ。ってことは、電力がミサイルに持ってかれるのも迫ってるってことだ」
「…急がないと…」
残り10キロ。
タワーに近づくにつれて、心拍数も上がっていった。
…あぁ、この感覚なんだよ。
踏み込むと焦げたオイルの匂いがして。
ドロドロとうるさいマフラー音。
唸るエンジン。
車ってのはこうでなくちゃならない。
この環境で、唯一赴くままに走れているのは俺たちだけだ。
俺たちだけが、車を〝操って〟いる。
「────その装置はこちらで爆破出来るのか」
「それは不可能なようです。流石に無対策ではないようで。ですが、先程その機能をこちらで停止させることは可能と判明しました」
「よし、すぐに実行しろ」
「かしこまりました」
「…なにもかもハイテクってのは考えものだな。遠隔で何でもできる怖さをしっかりと理解出来てないようだ。世界中の人間は」
2人がタワーに着き、事前に指示されていた箇所に爆弾を設置した。
そしてすぐに車に乗り込み、その場を離れる。
「2人とも設置完了。十分距離も取った。いつでもどうぞ」
「了解……」
車を止め、タワーの様子を見ていた美穂が、やたらと長い沈黙に焦る。
「…何も、音しないけど…」
「おい、どうなってる」
電話から、焦った声が聞こえて来る。
背後でも何か騒がしく人の声がしている。
「…爆弾の起爆装置に通電しないっ!!!」
「…そっちも乗っ取られたか…」
「何で…どうしてここまで把握されてるんだ…」
「アホな政府さんよ。そりゃタワーハックするような連中からすりゃ、あんなちっこい遠隔爆弾ハックすることくらい容易いんじゃねぇのか」
「…っ。起爆できないのなら、もはや打つ手が…」
「…待って…車、全部止まってない…?」
「……タワーに溜まっている電力がどんどん減っている!!!」
「…送電、始まったか…」
残り10分。
きっとアメリカだけではない。
奴らは次々にミサイルを飛ばすはずだ。
…時間がない…。
あっ…。
頭を抱える美穂を横に、俺はタバコに火をつけた。
「…こんな時にタバコ…?」
「最後くらい、吸わせてくれ」
「…何言ってるの?諦めるの!?」
「いや…簡単に爆発をさせる方法が、ひとつだけあったじゃねぇか」
「…まさか」
俺はミニのガソリンキャップを開けた。
「最後まで、ガソリンを讃えさせて頂こう」
「…嘘…嫌だよ…なら私も…!!!」
美穂の頭に手を乗せる。
「…2人で消えた栄光になる必要はない。俺がしたことを、後世に伝えてくれ」
自分でも驚くほど優しい声が出た。
「…でも…」
「それが、俺の願いだ。世話になったな」
「…絶対、また会えるよね…?」
美穂は泣き崩れながら言った。
「…あぁ。きっと会える。終わらせるにはこれしかないんだ」
ハッキングなんてこれっぽっちも考えていなかったアホ政策め。
最後に勝つのは、アナログなんだよ。
アナログ万歳。
ガソリン万歳っ!!!
きっとタワーを破壊してもしばらく混乱は続くだろう。
だが、車が走らなくなるだけだ。
人は生きていける。
ミサイルぶち込まれて大勢の人が死ぬくらいなら…今ここで全てを終わらせよう。
唯一制御された、俺の車。
自分の意思で動ける、ガソリン車。
俺はキーを捻って再びエンジンをかけた。
「…一生忘れないから…」
「絶対に振り向くなよ。さて…家に帰ってくれ」
「…うん。本当に…今まで…」
俺は美穂を遮った。
「別れの言葉はやめよう。またきっと、何十年かすれば会える」
「…顔、覚えといてね」
「ったりめぇだろ。んじゃ、〝またな〟」
「…〝またな〟」
私は振り向かず、彼と同じようにキーを捻ってエンジンに火を灯し、彼とは逆方向に車を走らせた。
すぐに伝わる熱。
衝撃。
…振り向くな。
…全て…上手くいった。
危うく忘れるとこだったぜ。
ガソリンって、ケッコーアブないモンなんだよな。
あったじゃねぇかよ。
パッと爆破出来るモンがよ。
それもアナログ。
遠隔で回路ぶった斬られるようなヤワなデジタルとは違う。
アナログは、デジタルを撃つ。
タワーは機能を停止し、ハッキングされていた電力の送電も停止した。
「…!?電力の供給が止まりました!」
「タワーが…崩れていく…」
「爆弾の起爆は止めたはず…なぜ!!」
「…ガソリンか…」
「はい?」
「…あの車、ガソリン車だったろ。タワーに突っ込んで、中で爆発したんだろ。負けたな…私たちは…」
「……まさかヴィンテージに撃たれるなんて…」
────あれから何年か経った。
あなたの功績はしっかりと伝えたよ。
そしてしっかりと評価された。
あなたと私だけではない。
ガソリンが再評価された。
世界中であのくだらない政策はストップしたし、例の国も核の新開発が出来なくなって結局滅ぼされたみたい。
メーカーはまたガソリン車の市販化に力を入れているし、閉鎖された油田もまた再開しているよ。
私たちが出会った頃の、あの世界に戻ってきている。
今はみんなの意識の中に、あなたの言葉が刻まれている。
〝最後に勝つのはアナログ〟
アナログを愛して良かった。
ヴィンテージな世界に身を置いていて良かった。
今でも私はあのミニに乗っているし、きっといつまでも乗り続けるのだと思う。
あなたが残したのはその言葉だけじゃない。
無事子供も産まれて…真っ当に車好きに育った。
結局成人する前に、彼もガソリン車をしっかり買ったんだよ。
ヴィンテージな車がもうこの世に私の車しか無いのが寂しいけどね。
ヴィンテージを愛しているから。
でも、ひとつだけ、その愛しているヴィンテージにならないもの…。
あなたという存在。
この世に手嶋 智樹という男がかつて存在し、世界を救ったというその事実は、いつまでも語り継がれている。
子供も巣立ち、仕事を定年退職して、車に乗る機会が減って、隣の若い奥さんと談笑するのが趣味に変わっても、それは変わらなかった。
ヴィンテージではない。
いつまでも、私はあなたという存在を誇れるのだろう。
人生を振り返るようになってから、さらに鮮明に思うの。
あなたの妻でよかった。
英雄の妻で良かった。
私はミニのハンドルを握り、ドロドロ言わせながら駆け抜けた。
〝またな〟って言い合ったよね。
ちゃんと覚えてる?
今、会いにいくよ。
ハイオクばら撒きながらね。
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