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第一章
1
ぼくの記憶の中に、ほんとうの両親のものはない。
だから、ひとづてに聞いた話になるけれど、母親は死んで、父親は逃げたらしい。
さいわいにして、ぼくのほかに子どもはいなかったみたいだ。渋々だったけど、引き取ってくれた親戚のおばさんがいっていたからね。
「食い扶持が増えるったって、ひとつでよかったよ。売り飛ばせばすぐに元が取れる」
って。
……そうだよ、ぼくは引き取られてすぐに売られた。
どこにって……。
あきれたお嬢さんだな、きみは。だからこそかわいいんだけど。
娼館って、わかるかい?
そう、女のひとが男たちに体を売る店のことだよ。
そういうところで体を売るのはね、なにも女のひとばかりじゃないって知ってた?
ひとの性的趣向をどうこういうつもりはないけれど、男が男を買うなんてこともあるんだ。
ぼくが売られたのは、そんな店のひとつだった。
ずいぶん高値で買われたみたいだよ。おばさんが狂喜乱舞していたからね。
……、それ、気を遣ってくれているの?
ありがとう。実はぼくも、自分はなかなか美人だと思ってる。なにせ、血の繋がりのないあの養父に似てるっていわれるくらいだからね。
――続けるよ?
子どもを売り買いしているといっても、ぼくを買った店の旦那さんと女将さんは、なかなか良心的なひとたちだったと思う。
店出しの年令を十歳にしていてね、それまではほんとうに大切に育ててくれたんだ。
もちろん、そのぶん期待はおおきかったよ?
貴族や富豪がきたときに満足させられるようにって、教養や礼儀作法は叩き込まれた。言葉遣いも、わざわざお金を払って、大学の先生を喚んで学ばせてくれたくらいだし。
正直いうと、これだけの扱いをされたのはぼくだけなんだ。
先に売られてきた子もあとからきた子も、たしかに十歳までは店に出されなかったけど、裏で、客を取っていた年嵩の少年たちにずいぶん酷い目に遭わされていたらしい。
ぼくだけが、守られていたんだ。
「この子は金のにわとりだ、いつかおまえたちにもぜいたくをさせてくれる子だ。だから、手を出すんじゃない、大切にするんだよ」
って、女将さんが、毎日少年たち相手に繰り返しいい聞かせていたように。
それから、すぐにぼくは十歳になって、早いうちからぼくに目をつけていた富豪に買われることになったんだ。
部屋を綺麗にして、調度品を整えて、ぼく自身も身綺麗にされたよ。垢を落として、髪を洗って切り揃えて。爪もずいぶん念入りに磨かれた。
どうやら、先に相当のお金を積まれていたみたいだね。
でも、その店出しを翌日に控えた晩、ぼくはほんとうに運がいいことを知った。
――養母が、店にきたんだ。
養母がどんなひとか、きみはあまり知らないよね?
我が国初の女性海軍将官であり、海の女神を誑し込んだ常勝の船長、ホーン女男爵クロエ・スコット卿。
……肩書きを並べるとなんだかすごいひとみたいだけど、これがもう、別の意味ですごいひとなんだよ。
彼女は、船の上では一睡もしないんだ。
……ほんとうだって! こんなことで嘘いってどうする?
士官候補生として船に乗るようになったときからずっと、転寝でも寝ているところを目撃したことはない、ってファーガソン准将――ああ、養母の、士官学校時代からの同期の方なのだけど、彼もそうおっしゃってた。
養母曰く、海に出ていると、眠気がまったく寄りつかないんだそうだ。
けれどそのかわり、一度陸にあがれば、体が満足するまでだいたい一週間くらい、ひたすら眠り続ける。ある種の職業病だろうね。
ただ、ひとりで眠ってくれるならなにも文句はいわない。でも、彼女がぐっすり眠るためには人間枕が必要なんだ。
人間枕。
つまりね、養母は、完全に寝入るまでのあいだ誰かを抱き締めておかないと、うとうとすらできない変な癖があるんだ。
すべては養父のせいなんだけど、それはまたあとで話すとして。
その悪癖のおかげで、養母は、養父と結婚するまでは、寝るためだけに悪所通いをしていたようなんだ。
養母はさっぱりとした気性のひとだから、男女問わず人気があってね。
ぼくが売られた店の並びにある、おとなが身を売るお店のほとんどに馴染みの相手がいて……。
……きみ、お嬢さんのくせに、変なことを知ってるね。
そうだよ、ほんとうは、相方を日によって替えるのは違反だ。
でも、なかにはそれでもいいからって、わざわざ自分で自分を買ってまで、養母と夜を過ごしたひともいたらしい。
――だから、ほんとうにぼくは運がよかったんだ。
養母は、普段から、おとなしか相手にしなかった。
なのに、その日は、いくつもの船が港についたばかりで、街には船乗りという船乗りが繰り出していた。帰港時刻が予定よりおおきくずれ込んで出遅れた養母の相方は、その日、全員出払っていたみたいなんだ。
かくいうぼくの店も、買われて以来はじめてみるような盛況ぶりだったよ。
女将さんにぼやかれていたからね。
「明日のご予約さえなければ、おまえは店出しできるし、部屋は相部屋で使えるのに」
って。
そこへ、相方に片っ端から振られてしまって、とにかく空いている人間枕を探して回っていた養母がきたんだ。
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