プロローグ

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プロローグ

 山手線2周。1回5000円。  それが、彼との、晃宏との契約だった。  山手線の1周は1時間3分〜4分、おおよそ2時間。1時間あたり2500円で、彼の隣に座っているだけの仕事は、アルバイトなら破格のお給料だ。  しかも、全額手取り。交通費は支給で、たまにお昼も出るという超高待遇。  けれど、今になって思う。なぜ、引き受けてしまったのか。  お金に困っていたわけではない。けれど、あのとき、頷く以外の選択肢は絢音にはなかった。 「絢音さんには本当に感謝しているんですが、もう続けられそうにないんです」  晃宏が硬い表情で目の前に握った手を見つめている。絢音の顔から視線を背けるようになったのは、いつからだったろうか。 「これで、契約終了にさせてください」  頭を下げた彼から漂う香りが、絢音の心をざわつかせる。結局、どうしようもない安らぎと焦燥を与える、この香りの正体はわからなかった。 「わかりました」  ついさっきまで、自分の肩に触れていた髪が、肩の重みが、彼の横顔が、胸にせり上げてくる。  山手線の真ん中の車両の端の席で、彼が眠りにつくその時間は、絢音にとっても大切な時間だった。 「もし……」  言葉が口をつく。 「はい」  彼の相槌に我にかえる。  もし。  一体、何を言おうというのか。  困ったら、連絡してくれ?  気が変わったら、いつでも、雇ってくれ?  嫌じゃなければ、いつもの席に?  私の──、なんて。  言えるわけない。 「いえ、なんでもないです。ありがとうございました」  深くお辞儀をする。コーヒーを残して、席を立った。  私こそ、感謝してもしきれない。この半年間、晃宏の隣にいることができて幸せだった。
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