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「それって匂いフェチっていうんじゃないですか?」
お昼ご飯は、いつもチームの女の子たちと食べる。自分よりも年上だった女性先輩たちは、皆異動したり、育児休暇中だったりで、チームの最年長をはっているのは、絢音だ。
年長者の役割に戸惑ったり煩わしく思ったりする時期は、とうに通りすぎた。
「いやいやいや、そんなわけないよ」
会社の子たちとお昼ご飯を食べるとき、はじめに話題をふるのは絢音の役目だった。年長者をおいて自分から話し始めるのは気がひけるだろう。女の子たちの好きそうな話題を出して、あとはみんなが広げた話に相槌を打っていればいい。
今日の話題として軽い気持ちで話したつもりだったが、思っていたのとは予想外のところにヒットしてしまったようだ。
「絢音さんが匂いフェチなんて意外すぎ!」
「だからー、いい匂いだなあって思っただけなんだって」
苦笑しながら答える絢音のことはそっちのけで、運命の出会い! 電車から始まる恋! と盛り上がっている。
「いいなあ。素敵ー」
「私もステキな人に出会いたーい!!」
まだ何も始まっていないのに、そんなことを言われると、なんだかドキドキしてしまう。
何とはなしに出した話題だったが、お昼の時間はひとしきりこの話で盛り上がった。
ようやく後輩たちから解放され、自席のパソコンを起動させる。メーラーを確認すると、新着メールが1件きていた。
──業務外のメールで失礼します。今日もいつものところで! 7時半集合!
差出人は天宮だ。絢音と同じ30を間近にして恋人なしの独身仲間。とはいえ、天宮は1人を謳歌するのが好きだと豪語する独身で、社内では、ゆくゆくは初の女性本部長に抜擢されるだろうと噂されるような人物だ。ついこの前、昇進も果たして、また一歩管理職への道が進み、ノリにのっている。
──了解。
早く仕事を終わらせなければ。短い文に決意を込めて送信する。お昼明けまで、あと15分。大震災の頃から続いている節電対策で、お昼は居室全体の電気が落とされる。煌々と光るモニタを見ながら、あの香りを思い出した。
直接、脳に柔らかく染み込むようなあの匂い。温かい湯船につかったときのように、休みの日にゆっくりと昼寝をしたときのように、心が満たされ癒される。
何か、香水を使っているのだろうか。早めに仕事を終わらせてデパートに行って探してみよう。
思いつくと、居ても立っても居られなくなった。今すぐにでも探しに行きたい。あの匂いには、絢音を駆り立てる何かがある。
絢音は暗がりの中、焦燥を胸にキーボードを叩き始めた。
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