眠らせて

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「すみません、少し浮かれてるみたいです」  そういうと、絢音が仕方ないなというように目を細める。 「どこに行きますか?」 「カフェでいいですか? 倉庫を改装した場所ですごく雰囲気がありますよ。美味しいご飯もあります」  絢音の顔が明るく綻ぶ。 「いいですね。実は少しお腹空いてきてたんです」  なんだかんだでもうすぐ11時だ。 「5分ちょっとくらいで着きます」  開店も11時なので、ちょうど良い距離感だ。駅から遠すぎもせず、かと言って近すぎないので、騒音からは解放されている場所だ。 「お店もやってるんですね」  店に着くと、まず民芸品やレトロな家具が目に入る。雑貨などを売るスペースとイートインのスペースが半々になっている。開いたばかりの店は少し慌ただしくて、いくつか商品をひやかして見た後に、ゆっくりとイートインスペースに移動した。 「薬膳のご飯とか美味しそうですね」 「体に良さそうですよね」  豚肉を漢方野菜で煮込んだ料理を頼む。テーブルの上にアクリル板があるのが今のご時世を表している。  料理が届くまで、他愛もない雑談をする。この調子だったら、絢音に話せるかもしれない。  今日を、単に絢音に隣に眠ってもらうだけで終わせるわけにはいかない。  絢音にちゃんと謝っていないし、もう一度隣で寝かせてもらうのをなあなあに再開するわけにもいかない。それに、もしできるなら。もし、できるならば、一緒にご飯を食べて、一緒に休日を過ごして、特に用事がなくても連絡する関係になりたかった。契約ではなく、絢音にも隣で眠ってほしかった。病気のときも元気なときも、約束をしなくても隣にいられる存在になりたい。  ゴクリと唾を飲む。  心臓を整えながら、タイミングをはかる。 「──」 「豚の薬膳煮込みです」  思わず、言葉を飲み込んだ。マスクで見えていないだろうに、開いた口を慌てて閉じて、ウエイターに会釈した。  目の前の料理からポカポカと湯気がのぼる。 「美味しそうですね」  絢音も目の前の料理をピカピカとした瞳で見ながら、晃宏に笑いかける。  そうですね、と力なく答えながら、気を取り直す。まだまだ時間はある。 「食べましょうか」  晃宏の声かけに絢音が嬉しそうに頷く。アクリル板の向こう側で絢音がマスクを外し始める。  何気なく、眺めていたその仕草から目が離せなくなった。ずっとマスク越しに見ていた顔があらわになっていく様に目がチカチカする。  絢音の顔にライトが陰影を作る。少し微笑んでいるその表情が柔らかくてじっと見ていると、絢音がこちらを見て笑った。 「どうしました?」  料理を前に、声が出るか出ないかの音で絢音が晃宏に問いかける。少し上目遣いのその表情に、顔に血がのぼる。 「いえ、大丈夫です」    何が大丈夫なのか。意味不明な受け答えをしながら、晃宏は自分の料理に向き直る。喉の奥が詰まって、先ほどまでの会話が嘘みたいに、胸の中がいっぱいになりすぎて上手く絢音と話ができない。 「美味しいですね」 「そうですね」  絢音が気をきかせて話をしようとしてくれているのに、晃宏はそのひとつも広げることはできなかった。ぶつぎりになる会話がだんだんと少なくなっていく。  続く沈黙が苦しくて、絢音を盗み見るけれど、目が合いそうになって慌てて視線を下げた。  高校生か、俺は。  思っていたよりも自分が情けなさすぎる。首を強く振った。さっきまであの手を握って、隣で寝ていたはずなのに。絢音が照れている様子を見る余裕があったはずなのに、絢音がマスクを外しただけでこうなるとは予想外だった。  ただでさえ、体調を崩してもう嫌というほどの想いを絢音にさせているのに、こんな体たらくではいけない。もう帰りましょう、と言われても仕方ない。まだ、肝心のことも話せていないのに、絢音が帰ってしまいたくなったらどうしよう。  そんな想いが晃宏の頭をぐるぐると回る。豚の味も薬膳の味もわからない。  絢音が動かしていた箸を皿に置いた。 「あの──」 「あ、この野菜すごく美味しいですよ」  最悪だ。絢音の話を遮ってしまった。けれど、今度こそ絢音が、もう帰りますね、と言い出しそうで、言葉を聞くのが怖い。 「薬膳の野菜って初めて食べました。あ、絢音さんはどうですか?」   矢継ぎ早に出した言葉は薄っぺらくて、嫌な汗までかいてくる。 「私も初めてです」  そう言って微笑む絢音は少し困った顔をしていて、晃宏は口をつぐんだ。  特にはずむ話もなく、下を向きながら細々とご飯を食べていると、絢音がマスクをつけて席を立った。 「絢音さん──!?」  思わず、大きい声で呼び止めると、絢音が驚いた顔をして振り返った。  どこにいくんですか? とも聞けず呼び止めたまま押し黙っていると、絢音が口を開いた。 「お水、取ってきますけど、いります?」  その言葉に強張っていた肩が落ちる。はい、と頷くと絢音はわかりましたと言って晃宏のコップも持っていってくれた。  思わず顔を両手で覆う。どうして上手くいかないのだろうか。病気ということを受け入れてもらうなら、それ以外のことはスマートに完璧にこなしたいのに。 「お水です」 「……ありがとうございます」  結局、そのカフェでは何も話すことができず、会計をしてしまった。
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