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流星に解散していいと言われた深雪とシロは、そのままキッチンで夕飯を取ることにした。メニューは昨日、二人で手作りしたカレーライスだ。冷蔵庫に置いていたカレーを、レンジで温めて白米に添える。
「昨日と同じものになっちゃったな」
テーブルにカレーを運びながら深雪が口を開くと、シロはスプーンを配膳しながらニコニコと笑う。
「全然いいよ。シロ、カレー大好きなんだ!」
「そうなの?」
「うん! 《ニーズヘッグ》にいた時、静紅がよく作ってくれてたから」
「なるほど、思い出の味なのか」
深雪は相槌を打つ。カレーは小学校のキャンプで作るくらい簡単にできるメニューだし、何と言っても定番で人気がある。だから《ニーズヘッグ》でも重宝されていたのだろう。
「静紅のカレーはね、ジャガイモとニンジンがゴロゴロしてて大きいの」
「そのほうが食べ応えがあるもんな」
「ユキのカレーは、みんな小っちゃくて可愛いね」
このカレーは深雪とシロの共同制作だが、具材をカットしたのは深雪だったのだ。
「母さんがよく、そういうカレーを作ってくれていたからかな。カレーってそういうものなんだと思ってた。同じメニューなのに、作る人が違うといろいろ違って、面白いな」
数日前、深雪の家族について、マリアにあれこれ質問攻めにされたせいか、両親のことが急に懐かしく思い出された。《冷凍睡眠(コールド・スリープ)》から目覚めて以降、父の雨宮風磨とも、母の雨宮晴子とも、連絡が取れていない。
二人は今、どこで何をしているのだろう。元気にしているのだろうか。それを考えるたび、両親に会いたいという気持ちと、会ってはならない、会う事は許されないという自戒の気持ちの間で、深雪は板挟みになる。
カレーライスを三分の二ほど食べたところで、深雪はふとシロに話しかけた。
「そういえば……シロはどうして《ニーズヘッグ》をやめたんだ?」
大まかな事情は亜希から聞いていたが、はっきりとした理由はまだ聞いていない。何があったのか、深雪は前から気になってはいたが、シロにとって《ニーズヘッグ》のことは繊細な問題であるようで、聞けなかったのだ。するとシロはわずかに顔を曇らせる。
「……シロが悪いの。いけないことをしたから……みんなが怒って、それで《ニーズヘッグ》にいられなくなったの」
(いけない事……? でも、シロが嫌われるほどの事をするなんて、ちょっと信じられないな……)
シロは幼い部分はあるものの、決して他人を傷つけたり、迷惑をかけたりはしない。そんな彼女が嫌われるなんて、いったい何があったのだろう。
しかし、シロはあまりその事を話したくないようだった。そこで深雪は話題を転換する。
「シロはずっと《監獄都市》の中にいたんだろ?」
「うん」
「《ニーズヘッグ》に入る前は、どこで何をしていたの?」
「……」
シロはスプーンを持つ手を止め、じっと深雪を見つめた。その眼差しは、《ニーズヘッグ》の事を聞いた時よりずっと悲しそうで、深雪は慌てて付け加える。
「あ、いや……親とかどうしてるのかなって」
「親って、お父さんやお母さんのこと?」
「うん」
「シロには、お父さんもお母さんもいないよ」
「いない? 死に別れた……とか?」
「ううん、最初からいなかったの」
「最初から……?」
どういう事なのだろう。生まれた時、すでに両親と死に別れたのだろうか。それとも、捨てられたという事だろうか。深雪は眉根を寄せるが、シロは俯いて話を続ける。
「親はいなかったけど、シロと同じ子はたくさんいたよ」
「同じ子? もしかして兄弟姉妹のこと?」
「うん……そういう感じだと思う。みんなシロと同じで、頭に耳があったんだよ。三角の耳の子も、丸い耳の子も、垂れている耳の子も……色んな耳の子がいたよ」
「そ……そう」
深雪にはどういう事なのかよく分からないが、シロの話によると、頭に獣耳がついた子供は彼女の他にも大勢いたようだ。
(獣耳軍団か……でも、それっておかしくないか?)
深雪は内心で首を傾げる。シロの獣耳が遺伝によるものなら、他にも獣耳を持ったゴーストがいそうなものだが。シロの説明を聞くと他にも兄弟姉妹がいたらしいが、この《監獄都市》で獣耳のゴーストは、シロの他に誰も見たことがない。シロの話と現実には乖離がある。一体どういう事なのだろう。
一方、シロはどこか遠いところを見つめる目になった。
「シロたちはたくさんいて、みんなで一つだった。でも、少しずついなくなって、最後にはシロだけになっちゃったんだ。シロ、とても淋しくて……みんなどこへ行ったんだろうって、ずっと探していたの。でもどれだけ探しても、誰もシロのところには帰ってこなかった。みんな、どこに行っちゃったのかな……?」
「……シロ」
深雪がシロの右手をそっと握ると、シロは、はっと我に返って深雪を見つめ返した。
「ユキ……」
その時はじめて、シロは自分が泣いている事に気づいたようだった。深雪の手の中から自分の手を引っ込めると、慌てたように目元を拭う。
「……! ごめん、シロ……!」
「謝らなくていいよ。シロは何も悪くない。それより俺のほうこそごめんな、つらい事を思い出させて」
シロは涙を拭いつつ、ふるふると首を横に振る。それを見た深雪は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。シロのことを、もっとよく知りたい。深雪の中にあったのは、ただそれだけで、決して彼女の過去を根掘り葉掘り詮索して困らせたかったわけではない。
「早く食べちゃおう。……冷めないうちに」
「……うん」
ようやく笑顔になったシロと日常の他愛ない話を交わしながら、二人で夕食を終えたのだった。
(まだ分からないこともあるけど……シロについてひとつだけ言えることがある。それは、東雲探偵事務所にいる時のシロは、明るくてとても幸せそうってことだ。離れ離れになった兄弟姉妹のことや、《ニーズヘッグ》を去った過去があったとしても、『今』が消えてなくなるわけじゃない)
以前、シロは仲間を助けようとして、我を失ったことがある。《ニーズヘッグ》の亜希や銀賀、静紅の三人が、寄生蜂によって操られたゴーストに襲われた時のことだ。シロは三人を助けようとして、周囲が見えなくなっていた。
今思えば、過去の辛い出来事がシロを追い詰めていたのだろう。けれど、今はそういったこともない。それはシロが事務所で必要な存在だと、自分で実感しているからだ。
深雪が東雲探偵事務所に来る前、シロはいつもお留守番をさせられていたらしい。でも今は、きちんと役割を与えられている。
だから、辛いことがあっても、きっと乗り越えられる。人間は自分が望めば、いくらでも変わっていく事が出来るのだから。
この時の深雪は、それを微塵も疑っていなかった。
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