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第3話 《アルコバレーノ》の災難
翌日も深雪はシロや流星と共に《中立地帯》の巡回に出ていたが、今のところ新しい囚人の受け入れは穏やかに進んでいるかに見える。
新しく収監された囚人たちは数が少ないこともあり、路頭に迷っている姿はあまり見かけない。だからと言って、彼らがすぐに新しい生活に馴染めるわけではなく、当分の間は警戒が必要なのだという。
最も警戒しなければならないのは、何も知らない囚人たちが《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》に取り込まれてしまうことだ。
(確か《休戦協定》で、《アラハバキ》や《レッド=ドラゴン》が新しい『囚人』を組織に引き込もうと勧誘するのは禁じられているんだっけ)
《中立地帯》のゴーストにしても、新しい囚人に手を出したり、チームに勧誘する行為は禁じられている。《休戦協定》以前はそういったルールが無かったため、熾烈な人材獲得合戦が繰り広げられていたという。
ただし、会社や個人経営の店は例外的に東京湾で社員を獲得する権利が認められている。《監獄都市》においても経済活動は重要で、新しい囚人たちも職がなければ衣食住の確保ができず、路頭に迷うことになる。だから双方にとって有益な措置なのだ。
ところが、さっそくトラブルが発生したとの情報がマリアによって流星の端末にもたらされる。
深雪とシロは流星に連れられて現場へと向かった。その道中、深雪は流星に事の次第を尋ねる。
「……それで何が起きたの?」
「現場に行ってみないと何とも言えないが……《中立地帯》のゴーストが何者かの襲撃を受けたらしい。どうやら新しく収監されたゴーストの仕業じゃないかって話だ」
「《中立地帯》のゴーストが被害者なのか……」
深雪は意外に思ってつぶやく。事前の情報では、既存のゴーストが新入りのゴーストに危害を加えるパターンが圧倒的に多いと聞いていたからだ。
するとウサギのマスコットが浮かび上がり、マリアのアバターはのん気な口調でくるくる回転する。
「まあアレよね~。無知で無責任で、度胸だけは人並み以上っていう無謀な新人のほうが、事情を理解してる古参より数倍も厄介だっていう、典型的なパターンよね」
「酷いことになってなきゃいいけど……」
深雪は《ディアブロ》という凶悪チームに襲われた時のことを思い出し、そんな言葉が口を突いて出た。すると流星は静かに忠告を発する。
「他人のことを心配してる余裕はねえぞ。その時になったら迷わずにアニムスを使えよ。攻撃するのは無理でも最低限、自分の身は守れるようにな」
「う……うん、分かった」
深雪の背中に緊張が駆け抜ける。相手の出方次第ではアニムスを使って戦うことになる。頭では分かっているつもりだが、改めてその可能性を突きつけられると、胃のあたりをぎゅっと掴まれたような感覚になる。
深雪は思わずポケットの中に仕込んであるビー玉を握りしめた。最悪の場合、これを使うことになるのだろうか。
(流星の様子だと、それほど深刻な事態じゃないみたいだけど……)
ほどなくして深雪たちは現場に到着した。周囲は住宅地で、古いものの原形を留めている建物が多い。視線を巡らせると近くにトンネルが見えた。襲撃を受けたチームはこのトンネルに潜み、通行人を捕まえては恐喝や強請りを繰り返していたらしい。
そのトンネルの前には、チームメンバーと見られる十人足らずの若者たちが苦痛に顔を歪めながら、うずくまったり倒れたりしている。
その若者たちとは別に、スーツ姿の男性が二人、女性が一人、傍らに立っていた。
「あの人たちは?」
深雪は三人組に視線を向けつつ流星に尋ねる。
「あさぎり警備会社の奴らだ」
「あさぎり警備会社……? 東京ジャック・ザ・リッパーの事件に巻き込まれた《死刑執行人》が所属していた事務所だよね?」
《中立地帯》には東雲探偵事務所の他にも《死刑執行人》の事務所が多数存在する。ただ、《死刑執行人》同士は横の繋がりがないため、滅多に顔を合わせることはないのだが。
「あさぎり警備会社は《死刑執行人》の事務所の中でも、かなり規模のデカいところだ。優秀な《死刑執行人》も多い。ウチにとっては厄介な商売敵でもあるが……今は別だ」
流星はあさぎり警備会社の三人組のうち、一番大きな男性に近づいていく。がっちりとした体格に角刈りの頭。意志の強そうな太い眉に分厚い唇。顔のわりに目が小さいものの、目元は穏やかで、柔道部の部員と言われたら思わず納得してしまいそうだ。
服装も白地のシャツに黒のスーツと飾り気がない。そこからも男の質実剛健な性格が窺える。
「……馬渕!」
流星が声をかけると、柔道部員のような男はこちらを振り向いた。
「赤神か。……ん? 見ない顔も連れているな」
馬渕に続いて口を開いたのは、紺色のストライプ柄のパンツスーツを着た二十代前半の女性だ。ゆるくふんわりした巻き髪のせいか、OLのような雰囲気を漂わせている。
「あら~、まるで引率の先生みたいですね、赤神くん。《中立地帯の死神》と呼ばれて、むやみやたらと恐怖を振りまいている事務所らしからぬ、ほのぼのさ……路線変更ですか?」
ふんわりOLはやたら間延びした口調で楽しそうに喋っていたが、次の瞬間、いきなり邪悪な顔に豹変する。
「そうですよねえ……いくら《死刑執行人》とはいえ、人としてどうかと思いますもんねー?」
「うふふ」と笑いながらも、目がまったく笑っていない。彼女の放つ強い負のオーラに深雪はビクッと身を仰け反らせた。
ところが流星は彼女の変り身に耐性があるらしく、爽やかに笑って受け流す。
「おっと……虹子ちゃんは相変わらずキッツいねー」
「ま、そこが良いんスけどねー」
そう調子よく相槌を打つのは、ロン毛に茶髪のスーツ姿の青年だ。馬渕とは違ってひょろりとした体つきで、おまけにひどい猫背だ。本人に悪気はないのだろうが、口調も表情もすべてチャラく感じてしまう。
だが、青年に反応したのはふんわりOLだった。
「黙れ、天沢」
「うひぃっ!?」
ふんわりOLは負のオーラどころではない殺気を放ちつつ、チャラ男に手刀を叩き込もうとするも、チャラ男はチャラ男で悲鳴をあげつつ器用に避ける。
一瞬、止めに入るべきだろうかと深雪は心配したものの、ふんわりOLは逃げるチャラ男を深追いすることなく、再び柔らかい笑みを張りつけて流星に尋ねる。
「いつもの態度の悪い傭兵崩れはどうしたんですか? 金髪の神父とか曲芸師の中国人とかも」
「あいつらは今日は別行動だ。ちなみに、こいつはウチの事務所の新入り。と言っても、入ってだいぶ経つけどな」
「雨宮深雪です」
紹介を受けた深雪が会釈すると、チャラ男こと天沢はしげしげと深雪を見つめつつ、軽薄なノリで頷いた。
「へー、そうなんスか。若いのに大変っスねー」
「黙れ、天沢」
ふんわりOLは天沢が発言すること自体が気に食わないらしく、手刀を叩き込もうとする。
「ちょっと待った、虹子ちゃん! 俺にだけ辛辣なのマジやめて!」
「うっせーな、チャラ男! 若気の至りの塊みたいな、てめえに言われちゃ世話ねえんだよ! ……ねえ雨宮くん?」
「……そ、そうですね」
深雪は顔を引きつらせつつ慌てて頷いた。彼女に同意したというより、ほとんど条件反射だ。それを見ていた天沢がすかさず抗議の声を上げる。
「ほらほら、雨宮くんもドン引きじゃないッスか!」
「黙れっつってんだよ、天沢ぁぁぁ‼」
ふんわりOLは天沢をしばき倒すと、ようやく気が済んだのか、深雪に向かって自己紹介する。
「私は犬飼虹子といいます。よろしくお願いしますね、雨宮くん」
「俺は天沢伊吹ッス……」
天沢は緩かったネクタイがさらに解け、心身ともにボロボロといった有様だ。
「だ、大丈夫ですか?」
「へへ……これくらい、いつもの事ッスよ……」
(この人、何となくだけど雰囲気が久藤に似てるな……)
久藤衛士は深雪が囚人護送船で一緒に居合わせた青年だ。今は《ニーズヘッグ》の一員となっている。
先日、事務所のバーベキューパーティーに誘ってみたが、バイトの時間と重なるからと言って断られた。考えてみると、最近あまり会っていない。軽い口調のせいか、年齢が近いせいか、どうにも天沢という青年は久藤と被って見える。
「俺は馬渕時成だ……よろしく」
「あ、いえ……こちらこそよろしくお願いします」
馬渕から律儀に握手を求められたので、深雪も握手を返す。分厚くてがっしりした手が、力強く深雪の手を握り返してくる。
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