第36話 選択の時①

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(流星、本当に大丈夫なのかな……?)  深雪は流星よりずっと年下だし、人生経験も足りているとは言い難いが、何か少しでも力になりたかった。  しかし流星は、心配する深雪を拒むかのように唐突に話題を変える。 「シロはどうした? 一緒じゃないのか?」 「シロはちょっと……今は一人になりたいみたいなんだ」 「……そうか。お前もあまり無理はするなよ。傷口が開くぞ」 「うん、分かってる」 「体を冷やさないようにな」  流星はそう言い残すと、ひらひらと片手を振り、屋上をあとにした。深雪は何とも言えない気持ちで、その背中をただ見送ることしかできない。 (流星は自分の弱さを他人に見せたことがない。いや、今だって無理をして軽口を叩いて……。流星はいつだって冷静で、俺みたいに仕事に私情を持ち込むこともなかった。だから、あれほど()が強いメンバーも流星のことは一目置いて、信頼していたんだ……)  その流星が、何もかもかなぐり捨てて復讐したかった因縁(いんねん)の相手。深雪にはその気持ちが分かるような気がした。  責任感が強い流星は同僚が無残に殺されるのを目の当たりにして、義憤(ぎふん)を抑えることができなかったのだろう。どうして罪の無い人間を惨殺した月城が裁かれもせず、のうのうと生きているのかと。  流星は以前、深雪が《ウロボロス》を壊滅させた張本人だと告白した時、自分のことでもないのに激しく憤っていた。仲間の警察官を殺した月城に、(ゆる)してはおけないという感情を抱いたとしても不思議ではない。  しかも、月城が流星から奪ったのは同僚だけではない。流星は月城に警察官殺しの罪を着せられ、人生を一変させられたのだ。もし機動装甲隊第一班が皆殺しにされる事件さえなければ、流星は今も警察官を続けていたに違いない。  流星は月城にそれまでの人生を破壊され、すべてを奪われた。流星が月城を憎み、恨むのも仕方のないことだと深雪は思う。  だが、先ほどの流星は復讐に走ったことを後悔しているようにも見えた。仇である月城が突然、目の前に現れたこと。そして復讐を遂げるつもりが果たせなかったことに流星自身、戸惑っているのかもしれない。  自分の感情を持て余し、どうすべきか分からなくなっているのではないか。流星の背中を見ていると、深雪はそう思えてならないのだった。  だが、深雪の前では流星はいつも通りだった。自分の内面はおろか、隙すら見せない。それは流星が精神的に強い大人だからだと深雪は思っていた。  でも今は、逆にそれが不安に感じられてならない。流星は大丈夫だろうか。流星は本当は何を感じ、何を思っているのだろう。  もし流星が月城に復讐を果たしたとして、その後、どうするつもりだろう。流星がいなければ東雲探偵事務所は指揮官(リーダー)を失い、まともに機能しなくなるのではないか。そんな危惧(きぐ)すら湧いてくる。 (俺もシロも、たぶん流星も……傷だらけだな。命に別状はないけど……あちこち傷だらけだ)  深雪は屋上で一人、風に吹かれていた。今日も空には分厚い雲が立ち込めているが、雨は降っていない。どんよりとした雲間から日の光が幾筋も差し込んで、幻想的な光景を作り出している。 (流星の仇だという月城も、雨宮や碓氷の仲間……たぶんクローン体なんだ)  正直、自分がクローンだと言われてもピンとこない。深雪は今まで自分のことを、普通の家庭で育った普通の人間だと思ってきたからだ。  だが、まったく信じられない話でもない。思えば父の雨宮風磨(ふうま)や母の雨宮晴子(はるこ)は深雪に対し、どこか余所余所(よそよそ)しいところがあった。いつもそうだったわけではないが、たとえば深雪が将来の夢を打ち明けた時、まるで他人のような冷ややかな態度を見せた。それを端々(はしばし)で感じ取り、深雪はいつも孤独や淋しさを感じていた。 (父さんは俺に言った。将来のことなど考えても無駄だと。それは俺がクローン体で、《レナトゥス》の器としての存在価値しかないと知っていたからじゃないのか……?)  だが、父も母も完全に道具として深雪に接していたわけでもない気がする。覚えている限り、深雪は両親からネガティブな感情を向けられたことがほとんどない。二人は良き父親や母親であろうとしてくれたし、深雪の成長をとても喜んでくれた。  それが彼らの仕事だと言ってしまえばそれまでだが、深雪と過ごした年月は一年や二年ではない。いくら仕事とはいえ、十年以上もの間、偽物の愛情を注ぐことができるだろうか。  そう思うからこそ、深雪は不思議でならなかった。父の風磨や母の晴子が、本当は何を考えていたのだろうと。 (父さんと母さんは何を考えて俺を育てたんだろう? 俺のことを本当はどう思っていたんだろう? 俺はそれが知りたい。今すぐ二人に会いたくてたまらない……!)  深雪の心はどうしようもなく揺れていた。自分の根幹(こんかん)がぐらぐらと揺れ、自分がどこに立っているのかさえ分からない―――そんな心許なさに襲われる。  この感覚には覚えがあった。幼い頃、ショッピングモールで迷子になってしまった時のことだ。  周囲にはあふれ返るほど人がいるのに、一緒に買い物をしていた両親の姿が見えず、どうしたらいいのか、どこに向かったらいいのかも分からない。幼い深雪はただただ途方に暮れ、しくしくと涙を流すことしかできなかった。 (俺はこれからどうしたらいいんだ……? 教えてよ、父さん……母さん!)  作り物の命、偽物の家族。幻のような愛情。もはや何を信じたらいいのかすら分からない。  自分の中には確かなものなど一つもない。そう考えると、深雪は身を斬られるほど(みじ)めな気分に襲われるのだった。
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