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第37話 選択の時②
その時、背後に人の気配を感じた。何気なく後ろを振り向いた深雪は、そこに六道が立っているのを目にして、ひどく驚いた。
「……!」
六道の顔色は悪くなっていく一方で、とても屋上まで階段をあがって来られるような体調ではない。それなのに何故――――。
困惑する深雪に構わず、六道はコツコツと杖を突きながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「俺に何か用……ですか?」
深雪が躊躇いつつ尋ねると、六道は低い声音で答えた。
「……シロを守ってくれたこと、礼を言う」
「俺がシロを守った……? そんな……俺は何も守れてなんていません!」
深雪はシロを守るつもりで、逆に傷つけてしまった。自分ではそう思っているくらいなのに。それでも六道は主張を変えるつもりは無いようだった。
「シロは敵を前にすると我を失ってしまう。それが身内を害した相手となると尚更だ。彼女はそのように作られているのだからな」
「……!」
深雪は小さく息を呑んだ。六道はいま、『彼女はそのように作られている』と言わなかったか。
「……だが、お前はその身を挺してシロを止めた。故意であろうとなかろうと、結果的にシロを守ったのだ」
六道の落ち窪んだ眼窩の奥にある鋭い眼光は、まっすぐに深雪を射ている。それが六道の本心であることは間違いない。この男が深雪に礼を言うなど滅多にないことだし、普段であれば深雪も驚嘆しただろう。
だが、今の深雪にとっては、どうでもいいことだ。
(六道はシロが遺伝子操作され、人工的に作り出された生命体だと知っている……!?)
だからこそ、六道は『彼女はそのように作られている』と言ったのだ。そしてシロのことを把握しているなら当然、深雪のことも把握していたと見るべきだ。
深雪は顔から血の気が引いていくのを感じた。深雪ですら知らなかった情報を、六道は知っている。もしかすると彼は深雪がクローンだと、この《監獄都市》で再会する前から知っていたのではないか。
六道は何をどこまで知っているのだろう。そもそも六道は何のつもりで深雪を《死刑執行人》にスカウトしたのだろうか。
今まで何度も疑問に思い、そのたびに納得のいく答えを与えられなかった問いが、再び頭をもたげてくる。
これまで深雪は六道の答えを聞くのが恐ろしかったし、自分から話を聞き出すのには躊躇いもあった。深雪にとって六道は、この《監獄都市》をまさに具現化したような存在だ。突きつけられるのは常に厳しい現実であり、甘えや誤魔化しを微塵も許さない。
だから、六道に尋ねる機会が何度もあったにもかかわらず、深雪は決して一定の領域から先には踏み込まなかった。
でも、今回は逃げてはならないような気がした。六道もそのつもりで屋上までやって来たのだろう。もう、話を先延ばしにするわけにはいかないと。
深雪は軽く唇を噛むと、自分から口を開いた。
「……所長」
「何だ?」
「所長は俺に《レナトゥス》が宿っていると知っても、あまり驚きませんでしたよね? 流星やオリヴィエ、奈落でさえ、あり得ないと驚いていたのに」
「……」
「それに俺が昨日、国立競技場に誘い出された時も、流星たちはすぐに俺のあとを追ってきました。マリアもいない状態なのに……敵が何者か把握していないと、あれほど迅速に駆けつけられるはずがありません。もしかして……所長は最初から知っていたんじゃないですか? シロのことも俺のことも―――《レナトゥス》のことも! 俺を誘い出した奴らの正体も、襲撃があることまで、すべて知っていたんじゃないですか!?」
深雪は挑みかかるような目を六道へ向ける。眼前に立つ六道を突き飛ばしそうなほどの強い目だ。だが六道は微動だにせず、それを正面から受け止めた。
「……《死刑執行人の条件に、クローンであるか否かは関係ない」
つまり六道は深雪がクローンであると知っていたが、《死刑執行人》にスカウトした際は、その条件を一切考慮しなかったと言いたいのだろう。
その答えが全てだった。やはり六道は深雪に東雲探偵事務所に入れと誘った時、すでに深雪がクローンであることを知っていたのだ。深雪が自分がクローンだと知らないことも承知の上で、何食わぬ顔で隠し続けてきたのだろう。
六道に己の秘密を明かして欲しかったわけではないが、それでも欺かれていたのだという腹立たしさは拭いきれない。
「《死刑執行人》にはクローンであるかどうかは関係ない……!? そんなわけないだろ! 作り物の……まがい物の人間が真っ当な人間を裁いて良いのか? そんな風に考える人達だって当然いるはずだ!」
深雪が腹立ちまぎれに語気を荒げると、六道は斬りかかるかのような視線を向ける。
「ふ……詭弁だな」
「な……!?」
「作られた人間だから何だというんだ? クローンは自分の犯した罪が消えてなくなるとでも?」
深雪はぎくりとした。脳裏に《ウロボロス》の皆の顔が浮かぶ。あの寒い十二月の夜、深雪の《ランドマイン》が拠点であったカラオケボックスを火の海にし、《ウロボロス》を壊滅させてしまった日のことを。
「そ、そんなことは誰も言ってないだろ!」
六道の眼光が鋭さを増す。そして杖を突きながら目の前まで歩み寄ってくると、深雪のパーカーの胸元を掴んで引き寄せた。
「ああ、そうだ。お前がどういった過程を経て、この世に生まれたかなど何の関係もない。お前は《ウロボロス》を皆殺しにし、この俺の半身を奪った。そして俺はこの《監獄都市》で《中立地帯》の死神となった。その結果こそが全てだ」
「そ……それは……!」
深雪は六道から視線を逸らしかける。彼の手元にある銀色の義手が視界の端をかすめるが、とても直視することが出来ない。だが、六道はそんな深雪を許さなかった。パーカーの胸元を掴む手にさらに力をこめ、怒気を放つ。
「目を逸らすな、雨宮! センチメンタルな自己憐憫など何の役にも立たん!」
「じ、自己憐憫なんしていない!」
「俺は、もう少しで死ぬ」
「……!!」
突如、告げられた六道の言葉に、深雪はぎょっとして息を呑む。
「これはお前が《監獄都市》に来る前から分かっていたことだ。俺はもう、いつ死んでもおかしくはない。ここ数年ずっと、そういう状態が続いている」
六道の命が長くないであろうことは深雪も予期していた。背中は骨が浮き上がるほど薄く、顔色は日を追うごとに悪化するばかりだ。以前、深雪の前で吐血したこともあったが、あの時の尋常ではない光景は、いまだ深雪の脳裏にこびりついている。
六道はその事実を誰よりも冷静に受け止めている。深雪は六道の覚悟にただただ圧倒されていた。いったいどれほどの葛藤を乗り越えたら、そんな境地に達することができるのだろう。
己の運命を呪い、怒り、焦燥感に苛まれ、煩悶し、絶望する。そういった段階を、六道はとうに過ぎ去っているのだ。
次に深雪の脳裏をかすめたのは東雲探偵事務所の行く末だった。この事務所は六道あっての事務所だ。現場の指揮官は流星だが、最終的な意思決定を下すのはいつだって六道なのだ。
それだけではない。良いか悪いかは別にして、この《監獄都市》において、六道は《中立地帯の死神》として強烈な存在感を放っている。六道がいなければ、《休戦協定》が結ばれることもなかっただろう。それなのに《中立地帯の死神》がいなくなったら、《監獄都市》はどうなってしまうのだろう。
「あ、《アニムス抑制剤》は……?」
深雪はとりあえず尋ねてみるが、六道の返答は実に素っ気ないものだった。
「すでにあらかた試し、効果がないことが分かっている」
「俺の《レナトゥス》を使えば人間に戻れるんじゃ……!?」
「それも……おそらく効果が無いだろう。俺のアニムス――《タナトゥス》は先天的な能力ではない。本来であれば、俺が持つべきでなかった力だ」
「……? どういうことだ……!?」
深雪は眉根を寄せるが、六道は深雪の疑問に答えるつもりは無いらしい。
「残された時間はあと一年……いや、数か月かもしれん。だが、この街にはまだ《死神》が必要だ。《監獄都市》に生きるゴーストから恐れられ、複雑なパワーバランスを保つことのできる力を持った存在が」
「まさか……」
深雪は嫌な予感がした。どうして六道がわざわざ屋上まで来て、こんな話をするのか。どうして東雲探偵事務所に深雪を《死刑執行人》として引き入れたのか。
ひょっとすると、すべてはこの日の為だったのかもしれない。
―――逃げ出したい。そんな話は聞きたくない。だが六道は、決して深雪を逃がしてはくれない。
「お前が新たな《中立地帯の死神》となれ、雨宮。そして俺がやって来たことを、お前がすべて引き継ぐんだ」
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