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「俺が……? 正気か!?」
深雪は思わず素っ頓狂な声が出た。
「|無論《むろん」だ」
「無理だ! そんなこと俺にできるわけがない! 俺には何の力もないし、事務所のメンバーに認められているわけでもない! そもそもあんたと俺じゃ考え方がまるで違うじゃないか! 俺が《中立地帯の死神》になったら……あんたの築き上げてきたものを、きっと滅茶苦茶にするぞ!」
だが、六道の返答は巌のごとく強固だった。
「そうしたいならそうすればいい……できるものならな」
「そんな……!!」
深雪は衝撃のあまり、それ以上、声が出せなかった。六道は深雪が《死刑執行人》や《中立地帯の死神》を快く思っていないことを知っている。それなのに、どうしてそんな人間を自分の後継者に指名できるのか。深雪には理解できなかった。
いや、これまで兆候が無かったわけではない。六道はかつて深雪と二人きりで話をした時、「謝罪の言葉が欲しいわけではない、謝っただけでは済ませはしない」と言っていた。
どうして己の半身を奪った仇である深雪を、事務所に招き入れたのか。深雪を自分の後釜に据えるためだったのだ。おそらく深雪が《監獄都市》に足を踏み入れた時から、六道はそう目論んでいたのだろう。
「どうして……どうして俺なんだ?」
深雪が震える声でそう問い質すと、六道は事も無げに答えを口にした。
「《中立地帯の死神》になれるのは、俺の他にお前しかいないからだ」
「何の基準でそんな事を言うのか分からない! 俺より流星のほうがずっと有能だし、《中立地帯の死神》に相応しいだろ!」
しかし、六道は静かに首を振る。
「赤神は駄目だ。本人が《中立地帯の死神》になることを望んでいない」
「俺だって、そんなこと望んでなんかない!」
「だがお前には《レナトゥス》がある。俺の《タナトゥス》と同じ、アニムスを無効化させる力だ。ゴーストにとって最も恐ろしいのは、アニムスを封じられることだ。だから《死神》になれるのはお前しかいない」
六道が言っていることの、理屈はよく分かる。とどのつまり、深雪の持つアニムスが《中立地帯の死神》に最も相応しいからという理由なのだろう。
だが、それは雨宮や碓氷たちと同じではないか。深雪の意向に何ひとつとして耳を貸さず、《レナトゥス》を持っているという理由だけで命令に従わせようとする。彼らと六道の主張は何が違うというのか。
「俺のアニムスを利用しようってのか……? 結局、お前も俺の《レナトゥス》を自分の野望の為に利用しようってだけじゃないか!!」
「ああ、そうだ」
「く……!!」
六道は悪びれもせず、深雪の指摘に頷いた。深雪はきつく唇を噛む。
(弁解の言葉すらないのか!)
分かっている。六道がその場しのぎの綺麗ごとを吐くような性格ではないと。六道はただ己の本心を口にしただけなのだ。
だが深雪は、とても割り切ることができなかった。自分はクローンだと明かされ、信じていた家族も偽物だった。裏切られ、さんざんモノ扱いされたあとで、トドメを刺すかのように《中立地帯の死神》になれと言われても到底、受け入れられるはずがない。
どうしてみな、深雪の未来を勝手に決めようとするのか。どうしてみな、深雪を利用することしか考えないのか。
深雪の苦悩などお構いなしに、六道は淡々と続けるのだった。
「もうひとつ理由がある。それは、お前が持たざる者であることだ。《中立地帯の死神》はその名の通り、死を司る存在だ。ゴーストの命を刈り取ることで《監獄都市》の秩序を維持する……孤独で残虐な仕事だ。時には当然、人道から外れた判断や決断を迫られることもある。守るものの多い者、しがらみの多い者には《中立地帯の死神》は務まらない。背負うものが多ければ多いほど、いざという時の判断が鈍るからだ。それが強みとなる役割もあるだろうが、《中立地帯の死神》に限って言えば、そうではない」
「俺には失うものが何も無いから……俺が《死神》になっても悲しむ人は誰もいないから、俺には《中立地帯の死神》になるのがおあつらえ向きだって、そう言いたいのか!?」
「簡潔に言うと、そういうことだ」
「お前、どれだけ自分が横暴なことを口にしているか……どれだけ残酷非道なことを言っているか、分かってるのか!」
深雪がさらに語気を荒げると、六道はわずかに声を落とした。
「……お前の言う通り、俺はお前を地獄へ引きずり込もうとしているのだろう。だが……俺にはそうする権利がある」
「権利……? 何だよ権利って……! 何なんだよ……!!」
深雪はパーカーの襟元を掴む六道の手を乱暴に払うと、両手で自分の顔を覆った。
六道の話は聞けば聞くほど眩暈がする。六道は分かっているのだ。深雪には他に選択肢が無いことを。深雪が六道の条件を拒み、東雲探偵事務所を飛び出せば、今度こそ陸軍特殊武装戦術群に連れ戻されてしまう。
それが嫌なら―――このまま東雲探偵事務所に在籍したければ、六道の突きつけた要求を呑むしかない。
六道はずっとこのタイミングを待っていたのだ。深雪が自らの生い立ちと、自分の置かれている立場を知り、《中立地帯の死神》になることを拒めなくなる状況を待ち侘びていたのだ。
「これが……これがお前の復讐なのか。俺がお前のやり方を……《死刑執行人》を嫌っているのを承知で、俺を《中立地帯の死神》にしようとしている。俺が《中立地帯の死神》になったら終始一貫、苦しむことになると知っていて、それでも針の筵に座れと言っているんだ!」
復讐なら復讐だと、そう言ってもらったほうが、まだしも気が楽だ。これが六道の復讐であるならば、深雪自身が招いた業として受け入れることもできる。
しかし、自分がクローンだという理由でこんな目に遭うのは絶対に耐えられない。クローンであることも、《レナトゥス》を得たことも、すべて深雪が望んだわけではないのだから
。
しばらくの間、六道は無言だった。どうして何も言わないのか。深雪が訝って顔を上げると、六道はようやく静かに話しはじめる。
「……このままではお前は未来永劫、他人に支配され、道具として生きて死ぬだけだ。《レナトゥス》の《器》として消費されて終わる人生……お前は本当にそれでいいのか?」
「お前だって同じじゃないか……! お前だって自分の後釜に据えるために、俺を利用しようとしている。結局、お前にとっても俺はただの道具じゃないか!」
「ああ、そうだな。だが同じ道具でも研究所に連れ戻され、完全に自由を奪われるよりはいくらかマシだろう。俺はお前にこの街で生きて死ぬ理由をやる。研究所に戻るのか、それとも《中立地帯の死神》になるのか……選ぶのはお前自身だ」
「選ぶ……? そんな無茶苦茶な選択肢しかない状況で、何をどう選べっていうんだ!!」
「だが、それでも選ぶんだ」
「そんなこと俺にはできない……!」
深雪の声はだんだん弱々しくなり、尻すぼみになっていく。
―――どうして。どうして、こんな目に合わなければならないのか。考えれば考えるほど、何もかもが嫌になってくる。
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