第37話 選択の時②

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 すると六道は、その時初めて深雪から視線を外し、手すりの向こうに広がる《監獄都市》を見つめると、独り言のようにつぶやいた。 「……人間に無限の可能性などありはしない。努力したところで自分は変わらないし、なりたい自分にもなれはしない。夢や理想はあまりにも無力で、簡単に(すす)け、塵芥(ちりあくた)と化す。現実はいつだってシビアで残酷だ。突きつけられる選択肢は悪手ばかり、カードを目の前に並べただけで、うんざりさせられる。だが……それでも選ぶんだ。少しでも未来が良くなるよう、はずれだらけのカードの中から少しでもマシなものを選んでいく。それが生きるということだ」  今度は深雪が無言になる番だった。  六道は、そうして生きてきたのだろう。片手片足が無い状態で《監獄都市》を生き抜くのが、いかに過酷だったか。絶望的なまでに選択肢が限られた中、いかに未来を切り開くのが困難だったか。想像するだけで気が遠くなる。そして、六道にそういった人生を押し付けてしまったのは、他ならぬ深雪なのだ。  ―――もしかしたら。深雪はふと思った。六道も残された時間の中で、ぎりぎりの選択をしているのかもしれない。自分の意向には微塵(みじん)も沿わない、悪手ばかりのカードの中から、少しでも良いものを選ぼうとしているのかもしれない。  深雪の憶測が仮に事実だとしても、彼はそんな素振りは絶対に見せないだろう。何故なら六道は悲劇に陶酔(とうすい)したり、自己憐憫(じこれんびん)に浸ることを極度に嫌っているからだ。偽りに甘え、真実から目を逸らすことが何よりも嫌いなのだ。他人に対しても、もちろん自分自身に対しても。 「……。最初から……最初からそのつもりだったのか?」  深雪は、どうにか肺の奥から言葉を押し出した。 「……」 「最初からそのつもりで俺を……?」  すると六道は、意外な言葉を口にする。  「最初はお前を当面の間、事務所で保護し、(しか)るべき時が来たら外の連中に引き渡す手筈(てはず)になっていた。……今回、お前を連れ戻そうとした者たちだ」 「え……? でも、それなら何故……?」  どうして六道は、深雪を陸軍特殊武装戦術群に引き渡さなかったのだろう。今回のことで六道は陸軍と対立することになってしまった。そこまでして自分を《中立地帯の死神》の後釜に据えて、六道に何の得があるというのか。  深雪が尋ねると、六道は眼光をぎらりと鋭く閃かせた。 「奴らにお前は渡さない。いや、誰にもお前を渡しはしない。それが俺の復讐だ」 「六道……」  深雪にはわけが分からなかった。復讐というのなら、真っ先に深雪が標的になって(しか)るべきではないのか。雨宮や碓氷(うすい)の主張も理解できなかったが、六道の思考も不気味なほど理解不能だ。  六道は最後に深雪へと告げる。 「時間はわずかだが残されている。自分がどうすべきなのか。よく考えて選ぶことだ。ただ……これだけは覚えておけ。お前が導き出した答えであれば、俺はそれに干渉することはない。お前が自分の将来を選んだ結果、もし俺の元を離れるという選択をしたとしても、俺はお前を引き留めはしない」 「……」  そんな事を言われても、すぐに選べるわけがない。深雪は《死刑執行人(リーパー)》にはなれない。実力の問題ではなく、精神的に耐えられないのだ。ましてや《中立地帯の死神》になるなど、もっての外だ。《レナトゥス》があろうと決心がつくものでもない。  だが、深雪に他の選択肢は与えられてはいなかった。東雲探偵事務所を出たら間違いなく、陸軍特殊武装戦術群が深雪を連れ戻そうと待ち構えている。そうしたら今度こそ誰も深雪を守ってはくれない。それが嫌なら《中立地帯の死神》として生きていくしかない。いったいどうしたらいいのか。深雪は頭がおかしくなりそうだった。 「少し……考える時間をくれ。今すぐには決められない」 「ああ、そうだな」  六道はそう答えると、杖を突いて踵を返し、屋上を後にしようとする。それで六道の話は終わりなのだろう。深雪は我知らず、その背中に問いかけていた。 「ひとつ聞きたい。あんたは俺が《中立地帯の死神》になれると、本気で思っているのか?」  すると六道は少しだけ振り向いた。 「近いうちに、この街は変わる。内部要因と外部要因によって、変わらざるを得ない状況に追い込まれるだろう。そうなれば、どの道、今までのやり方は通用しなくなる。そういう時こそ、斬新でかつ柔軟な手法や思考が必要とされるようになる。《中立地帯の死神》としての基礎は踏まえつつ、臨機応変(りんきおうへん)に判断を変えて行かなければならない。だから……大丈夫だ。お前はきっと適応し、やっていくだろう」 「……」  深雪は何と答えていいのか分からなかった。六道は自分の何を、それほどまでに評価しているのだろう。深雪が六道と同じ立場であれば、自分の半身を奪った人間をそう簡単に信用したりしない。  何より、『内部要因と外部要因によって変わらざるを得ない状況に追い込まれる』という部分が深雪は気になった。六道は詳細について触れなかったが、そう断言するからには《監獄都市》に何かが起こっているのだろう。 「質問はそれだけか?」 「……ああ」と深雪は力なく頷く。 「よく考えて、自分の意志で選べ……それが重要だ。何よりもな」  そして六道はもはや深雪を一顧(いっこ)だにすることなく、事務所へと姿を消した。屋上に残されたのは深雪のみだ。  六道の姿が視界から消えると同時に膝から力が抜け、深雪は手すりにもたれるようにして座りこんだ。分厚い雲の間から差し込んでくる日の光が、力なく投げだした足元を(はかな)げに照らすのを、深雪は見るともなしに眺めていた。 「俺はどうしたら……どうしてこんなことに……!!」  研究所へ戻って一生、モルモットのような生活を送るのか。それとも東雲探偵事務所に残って《中立地帯の死神》となるのか。簡単に選べるはずもない。  たとえるなら溺死がいいか、焼死がいいか、選べと言われているようなものだ。  どうして自分らしく生きることが許されないのか。どうして望んだ未来を手に入れられないのか。クローンだからか。《レナトゥス》を持っているせいなのか。全てがあまりにも理不尽だ。  どうしてこんな事になったのだろう。どうして自分が、こんな目に遭わなければならないのだろう。そう考えると、どうしようもなく情けなくて惨めだった。 (いや、そもそもは俺自身が招いたことだ。俺が《ウロボロス》の皆を殺してしまった二十年前から……俺が《死神》になることは決まっていたのかもしれない……)  国立競技場で雨宮が、「これからどうするつもりなのか」と問うてきた時に、深雪はしっかりと返事ができなかった。深雪は《監獄都市》の現状を憂い、間違っていると嘆き、《死刑執行人(リーパー)》はおかしいと口で言いながら、自分がどうすればいいのか、どうすべきなのか何も分かっていなかった。  これまでは中途半端(ちゅうとはんぱ)でも良かったのかもしれない。深雪は六道や事務所の皆に守られ、モラトリアムを満喫できた。いつも安全なところで大切に(かくま)われていたのだから。  だが、もう逃げも甘えも許されない。六道はもうすぐ死ぬ。そうなれば東雲探偵事務所が現状を維持できるのかも定かではない。  六道の言う通りだと深雪は思った。現実はいつだってシビアで残酷で、それなのに確かな姿をもって目の前に立ちはだかる。だからきっと、六道は選べと言ったのだろう。状況に流され、周囲の環境に愚痴をこぼし、こんなはずじゃなかったと怨嗟(えんさ)や言い訳を垂れ流すくらいなら、自らの人生を自らの意志で選び取れと。  それで何かが劇的に変わるわけではないが、選択を放棄(ほうき)した先には何も無いことだけは確かだ。 「俺は……選ばなければならないんだ。自分の意志で、未来を……!」  答えはまだ出ない。けれど深雪が思うより、選択の時はすぐそこまで迫っているのかもしれなかった。
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