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あさぎり警備会社の馬渕たちも、困惑したような視線を深雪へ向ける。
「……そうなのか?」
「ち、違います! 違いますって!」
慌てて両手を振って否定する深雪に、流星とシロが加勢してくれた。
「そんなはずはない。深雪は朝から俺たちと一緒に行動していたんだ」
「うん、シロたちずっと一緒にいたよー?」
「本当ですかぁ……? 私たちのこと騙してるんじゃないですよねー?」
犬飼は口元には優美な笑みを浮かべているものの、目元には剣呑な光を湛えて、「嘘をついたらブッ殺ス」と脅迫する眼つきだ。
深雪は青ざめつつ必死で誤解だと訴える。
「本当ですってば! この人達とは初対面だって!!」
「あ! あれじゃないッスか? この世には自分と同じ顔をした人が三人はいるって説!」
天沢はパチンと指を鳴らして言う。深雪の背中は危ないと察したのか、今度は流星の背中に逃げ込んでいる。それはそれでムカッとするのは何故だろう。
「その説は俺も聞いたことがあるが、この狭い《監獄都市》で同じ顔をした他人が二人も居合わせる可能性は低いと思うぞ。どうも腑に落ちんな……」
生真面目な性格の馬渕は天沢の案を真剣に検討しているが、その隣で不真面目なマリアはどうでも良さそうに両手を頭の後ろで組んでいる。
「そもそも深雪っちの顔って特徴が無いも同然じゃん? 別人と見間違えたのかもよ?」
「……悪かったね、特徴が無いも同然の顔で」
深雪は唇を尖らせた。マリアの口調は憎たらしいが、それを差し引いても彼女の意見が最も現実的だろう。深雪に双子の兄弟はいないし、瞬間移動のアニムスがあるわけでもない。
おそらく、赤の他人を深雪と見間違えたのだろう。
そう言われると《アルコバレーノ》の若者たちも自信がなくなってきたのか、深雪の顔をしげしげと眺めながら首を傾げる。
「俺らの見間違い……?」
「確かによくある顔っつーか……特徴がない面だしな」
「いや……でもこいつだよ。俺、人の顔を覚えるの得意だし、間違いないって!」
「俺もそう思う。服装とか髪型が違うだけで、顏はこいつだよ。絶対そうだって」
「それより痛え……痛えよぉぉ! 誰か病院に連れて行ってくれよ!!」
その場にいる《死刑執行人》は互いに顔を見合わせた。《アルコバレーノ》を襲撃した人物は、そんなに深雪と似ていたのだろうか。
いったい何が起こっているのだろう。深雪は首を捻らずにはいられなかった。
とりあえず負傷した《アルコバレーノ》の面々を最寄りの診療所まで連れて行って、手当てを受けさせることになった。
流星と馬渕が話し合った結果、あさぎり警備会社が《アルコバレーノ》のメンバーを診療所に連れて行き、深雪たち東雲探偵事務所のメンバーは《アルコバレーノ》を襲撃した犯人の行方を追うことに決まった。
馬渕たちを見送ると、流星は戸惑い気味に頭を掻いた。
「……なんか妙な話だな」
「ああ……確かに俺の顔は特徴が無いけど、別人に間違われたことは無いのに……」
《アルコバレーノ》を叩き伏せたのは絶対に深雪ではない。今日はずっと流星やシロと行動していたし、《アルコバレーノ》と初めて会った時、彼らはすでに襲撃を受けたあとだった。それは流星やシロもよく分かっているし、間違いない。
現状で最も考えられるのは、この《監獄都市》に深雪と外見の酷似したゴーストがいる―――その可能性が高い。
(俺にそっくりか……どんな人なんだろう。ちょっと興味があるな……)
それほど自分に似ている顔の持ち主となれば、見てみたい気持ちはある。どれくらい似ているのだろうという、ちょっとした好奇心だ。
深雪がそんなことを考えていると、シロの獣耳がぴくっと大きく撥ねた。そして首を伸ばすと、全神経を研ぎ澄ませるように体の動きをぴたりと止める。
小刻みに動く三角の獣耳は、まるで一生懸命、何かの音を拾おうとしているかのようだ。そうやってシロが耳を澄ませる時は大抵、何か危険や異変が迫っている時だと深雪は知っている。
「シロ? どうかした?」
シロは答えない。それどころか深雪の声が聞こえていないらしく、どこか遠くを見つめたまま盛んに獣耳を動かしている。そして、びくりと全身を震わせたかと思うと突然、走り出してしまった。
「シロ!? おい!」
「俺が追いかける!」
流星にそう言い残すと、深雪は全速力でシロの後を追いかけはじめた。
シロは瓦礫や砂利が散らばり、アスファルトのひび割れた路上を走るのがまどろっこしいのか、塀を足場に建物の屋上へと駆け上がると、そのまま屋根伝いに走ってゆく。
シロはどこを目指しているのだろうか。どうして突然、走り出してしまったのだろう。
必死でシロの後を追うが、深雪にもわけが分からない。シロの姿を見失わないようにするので精いっぱいだ。
それなのにシロの姿はどんどん小さくなってしまう。濃紺色のセーラー服が凄まじい速さで建物の屋根を飛び越えていく。シロの駆けるスピードが速すぎて、深雪はどれだけ走っても引き離されるばかりだ。
(くっ……! シロ……ひょっとして本気で走ってる……? いったい何があったんだ? きっと獣耳が撥ねたあの時、何かが聞こえたんだ……!!)
深雪は走りつつも困惑が拭えない。シロは確かに無邪気で自由奔放なところはあるが、こんな風に勝手に走って行くことは今まで無かったのだ。
深雪はシロを追いかけるうちに、いつの間にか瓦礫地帯に足を踏み入れていた。崩れたビルの鉄筋やコンクリートといった廃材が、あちこちで大小の山を築いている。
廃墟のど真ん中で完全にシロを見失ってしまった深雪だが、ふと風に乗ってかすかな声が聞こえてきた。
「ウ―――ウゥ―――ウウ―――……」
狼の遠吠えに似た声。誰かを求めるような、聞いているだけで物悲しくなってくるような、細く響く声。
声を頼りに深雪が瓦礫の中を進んでいくと、そこにシロの姿があった。シロは大きな瓦礫の山の上で、誰かに呼び掛けるかのように遠吠えを続けている。
「シロ……」
深雪が声をかけても、シロはこちらを振り向かない。ただ一点を向いて懸命に呼びかけている。深雪は瓦礫の山をよじ登り、シロの背中にゆっくり近づくと、そっと華奢な手に触れた。
「シロ」
「ユキ……」
シロはようやく深雪のほうを振り返る。その時はじめて深雪の存在に気がついたらしく、シロは遠吠えに夢中で、深雪が後を追って来ていることすら意識になかったのだろう。
深雪はシロの両手を握りしめると、安心させるように声をかける。
「戻ろう、シロ。流星やマリアが心配してるよ」
「……。うん……」
「……何があったの?」
シロはわずかに口を開きかけたものの、すぐに瞳を伏せてしまう。
「ごめん……何でもない」
弱々しい声音で答えるシロは、深雪の目にもひどく落胆しているように見えた。獣耳もぺたんと伏せたまま元気が無い。
(シロ……いったい何があったって言うんだ……?)
彼女が何に期待し、何に失望したのか。事情を知らない深雪はシロを励ましたい気持ちはあるものの、何と言えば良いか分からない。
深雪が思案していると、流星が瓦礫の山を登ってくるのが見えた。
「おーい! シロも深雪も無事か!?」
どうやら流星も、あの後すぐに深雪とシロを追ってきたらしい。突然走りだしたシロの尋常ではない様子に心配になったのだろう。
「お前らなあ、いきなり走り出すんじゃねーよ! 追いかける身にもなれっての!」
するとウサギのアバターが宙に浮かび上がり、流星にからかい半分の茶々を入れる。
「そうそう、ただでさえ中年一歩手前で息も上がってるのにねー」
「上がってねーよ!」
「無理しない無理しなーい」
「無理してねーし! そもそも息も上がってねえからな!」
十代の深雪からすれば何とも不毛なやり取りだ。その間もシロは力なくうつむいたままだ。深雪はシロの手を繋ぐと優しく声をかける。
「帰ろう、シロ」
「……うん」
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