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お父さん
ほんの少しだけ開いた窓から生温かい湿った空気が部屋のなかに流れ込んだ。煙草と排気ガスと生ごみの入り混じった臭い。部屋に敷かれた万年床からも人の脂臭さが鼻をついた。
山積みになった汚れた皿とグラスがキッチンを占領し,床には何が入っているのかわからないコンビニ袋が口をきつく縛られいくつも転がっていた。
ガチャガチャと金属が不快な音をたててから,ギィィィと建付けの悪い木製のドアが開いた。激しく飛び散る水の音と軋む床の音が玄関脇からした。若い頃は誰もが振り返ったであろう,やけに派手な化粧をした女がだるそうにひび割れた鏡の前で洋服を直していた。
「ねぇ……わたし,これから仕事だから」
茶色く変色した布団の中から,白髪頭のやつれた中年男が顔を出した。ひどく具合が悪そうな男は頭をもたげて女を確認すると,うんざりした表情で視線を落とした。
「ああ……いってらっしゃい……」
男は虚ろな目で女の尻を追うと,そのまま崩れるように布団に戻った。
「今日は朝までだから……」
女は鏡に鼻が着きそうなくらい顔を近づけて化粧を直すと,使い込まれた高級バッグを片手に踵の削れたピンヒールを履いて部屋を出た。
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