親分肌で寂しがり屋で

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両親と幼い時に死別していて弟とふたり祖父母に育てられました 親の顔は覚えていないんだよ 親の他に子どものことを一番に考えてる人はいないんだ 親の顔を知らないほどみじめで情けないことはないんだよ この言葉はわたしが、小さい時から終生何度も聞かされた言葉でした 親無しで守られることがなく辛い事が多かったんだと思います そのため、必然的にとても負けず嫌いな性格になったんだと思います 何をするにも人より多くそして質の高いものを作る、やる 短い髪のオールバックで、私が言うのもなんですけどイケメンでした 人と話すのが大好き 朝、用事があってうちに来て掴まった人はお茶を二杯は飲まないと帰ることはできないのです 朝は誰でも忙しく迷惑な話ですが朝茶は難を逃れると言って飲んで貰わないで帰してはいけないと思っているようでした とにかく躾には厳しい人で母はピンポイントで教えてくれただけでほとんど父から叩き込まれました 小さい時から子供扱いもしなかったし、学校へも雨が降ろうが槍が降ろうが送るなどということは絶対にしない人でした 隣の子の父親が自分の子と一緒に送って行きますよと言ってくれても、お断りして私一人でバスで行かされたものです いつしか、そういうものだと普通に考えるようになりました 私が高校の時、38度5分の熱が学校で出てしまい先生がタクシーを呼ぶからタクシーに乗って帰りなさいと言われた時 その時わたしは、自転車がないと明日登校できないので自転車に乗って自力で帰りますと言いました すると先生が、明日登校するつもりか?しかも自転車で?と驚いていらしたのをとてもよく覚えています 勿論、父が送ってくれないとわかっていたからです 中高、自転車通学でしたが入学に際して、父はそのお店で一番高い自転車を買ってくれました その時父は、これでがんばれよ!送らないからなと言うつもりだったかどうかはわかりませんけれど
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