総理大臣の願い

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 202☓年3月31日。 「総理のご決断はそれで宜しいのですね」  神田官房長官が総理大臣に最後の念を押した。 「ああ官房長官、これで行こう。国民の為に」   官房長官の神田貴一は盟友である総理の英断に感無量の面持ちとなり、思わずジワリ涙ぐむと夕方六時の定例記者会見のために総理の執務室を後にした。  総理の声明文発表まで後十八時間。    執務室で一人になった内閣総理大臣は、ここ二年()っていた葉巻を執務机の抽斗から取り出した。妻の懇願でとうとう禁煙という際に自分でも(いささ)か女々しいとは思ったが、一本だけ大切に仕舞っておいたのだ。二年前まで常に銀座のシガー専門店から取り寄せて、欠かす事のなかったキューバ産の高級葉巻コイーバだ。    官邸は全館禁煙だが構うものか。    是川金造が一人残った総理大臣執務室はすぐに、是川がふかし始めた葉巻の甘い香りに包まれた。彼は総理の椅子に座り、ゆっくり漂いながら天井に立ち上ってゆく紫煙の行方を目で追って、我ながら形振(なりふ)り構わない決断をした事に思いを巡らせた。 『この決断で国民は喜んでくれるだろうか。いやいや喜ばぬわけがない。私の願いはただひとつ。それは国民のだ。とにかく国民にはどんな時でも笑顔でいてほしい』  是川金造の政治家人生は常に「国民を笑顔に」が信条の猪突猛進の五十有余年であった。
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