ドアを叩く手

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ドアを叩く手

 これは昭和六十二年の春、北海道の港町の片隅で起きた恐怖体験、というよりも不思議な体験である。私は小学五年生に進級していた。  その年の二月の終わり、両親が壮絶な喧嘩をしたのをきっかけに別居が決まり、私と兄妹、そして母方の祖母は徒歩ニ十分ほどの隣町の古いアパートに引越しをした。借りた部屋は祖母の古い友達が所有する年季の入ったアパートの一階だった。  自分の勉強道具をランドセルに詰め、祖母が引く手押し車に最低限に荷物を積み、四人で助け合いながら辿り着いた。  この古いアパートを初めて見た時、私は暗(あん)たんたる気持ちになった。  築何年かは知らないが、とにかく古い。灰色の壁が黒く汚れて、忌まわしい雰囲気を漂わせている。所有者のおばちゃんには申し訳ないけれど、なぜこんな色の壁にしてしまったのか私には理解できなかった。  玄関は北を向いており、背面には高い塀があるため、本当に暗い。ドアノブに白い糸でぶら下るガスの申込書が、空き部屋であることを物語っていた。  アパートは八戸ある部屋のうち、半分は空室だったように記憶している。でも実際はもっと住んでいたかもしれない。とにかく古い記憶なので、そこらへんは定かではない。  おばあちゃんが鍵を開けて玄関を開いたとき、埃っぽくてかび臭い空気が流れ出てきた。妹にそれを言うと「そぉ?」と不思議そうにいわれ、兄にいたっては年中鼻炎持ちなので「全然わからない」と言うし、祖母は「気にしない」とバッサリ。 「とにかく今日からここに住むのだから、掃除をするよ」
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