ドアを叩く手

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 この時を待ってましたと言わんばかりに、何度もなんどもしつこく確認するのは妹の仕事になる。彼女は小学生のわりに論理的な思考を持ち、大人相手に物怖じしない態度で挑むところが尊敬ポイントだ。 「退院って、どこに入院してたの? 市内に居たっていうこと? 私達がお見舞いさせて貰えないぐらい重症だったの?」 「そういうわけじゃないけど、ひとりにさせてやらなくちゃいけなかったんだよ。でも、だからってあんた達のことを忘れて面白楽しく暮らしてるわけじゃない。大人には子供ではわからない事情があるんだよ。わかってあげて」 「なんでそうやっていつもはぐらかすの?」  祖母は鬱陶しそうに顔を引きつらせ、黙り込んでしまった。祖母と妹は以前からずっと犬猿の仲なので、喧嘩になる前にばあちゃん子の私が間に入って話題を終わらせた。食器を洗い、日課の散歩に出かけて行く祖母を見送ってから、残る兄妹三人で円卓を囲んだ。  妹「おばあちゃん、嘘が下手だよね。お母さんが死んでたら、どうしよう」  兄「死んでるわけない!」  私「死んでたらさすがに隠せないんじゃない?」  妹「いくらでも隠せるよ。大人なんて、こっちが子供だからってなんでも秘密にするじゃん」  ――この危機感の強さの違いが、お分かりいただけるだろうか?  誰よりも成長が速かった妹は最悪の事態を想定していたのである。これはさすがに驚きというより呆れてしまった。死んだら葬式をしないわけにはいかないだろうと考えたからだ。でも、当時引っ込み思案だった私は、まだ年端も行かない私たちに対する祖母の配慮を無碍にはできない。それをわかっていて揺さぶるのはどうかと思う、とは言えなかった。私は喧嘩が嫌いで、争いになる前に自分から身を引くタイプの人間なのに対して、妹は一度引っかかるととことん白黒つけたがる。私の曖昧なものを曖昧なまま受容する性格を「優柔不断」と一蹴されるのは、堪らない。  だが妹は三人兄妹のなかで一番の切れ者であり、心の強さは大人以上なのも自他ともに認めるところだった。彼女は生まれながらのリーダーと言える。ちなみに私と妹は双子で、しかし顔も背格好も似ていない。同じ日に生まれ、同じものを食べて育った姉妹の身長差は12センチも開いていた。性格も全く違う。  妹は背が高く、目つきが鋭く、凛々しい顔立ちをしているため、当時小学校高学年で大学生に間違えられることも珍しくはなかった。(こんな風に言うと妹が怒るかもしれない、怖い)  兄は愛くるしい顔と憎めないキャラクターで、大人から無条件に可愛がられるという才能を持っている。  私はたれ目でいつでもどこでも心ここにあらずな表情をしている、不思議な子と良く言われていた。ちなみに私は「あら、いつからいたの?」と驚かれるぐらい、影の薄い子でもあった。  本題に戻る。  問題の「ドアを叩く音」が始まったのは、ボロアパートに引っ越してから一週間が経とうとしていた頃だったように思う。  夕飯を食べていたときだ。時間は午後六時頃。  小さなボタン式呼び鈴があるのにかかわらず、指の骨なんかでドアをコンコンと叩く音が響いた。  すぐに祖母が出て行って玄関のドアを開けるけれど、誰の姿もない。
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