幕間・緋炎

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 崩れ落ちた建物の隙間に、動く人影があった。このような場に現れるものといえば、燃え残った貴金属目当ての火事場泥棒と決まっている。  柄を握る手に力を込め、足を速めた。死肉をあさる浅ましき獣たち。故郷が帝国兵によって蹂躙されたのち、彼らの同類が行った暴虐の限りを忘れたことはない。  予想どおり、そこにいたのは貧相な姿の中年男であった。この店の主人が地中に埋めた箱を、めざとく見つけたらしい。背後に忍び寄ったときには掘り返した穴の底、蓋にかかる土を掌で払いのけていたが、声をかけると飛び上るほど驚き、痩躯(そうく)を振り向かせて立ち上がる。  黒く煤けた顔に、用心深く光らせた金壺眼(かなつぼまなこ)。視線の端に光る抜き身をとらえていたが、動揺を腹の底に押し隠し、肩をいからせてごろつきらしい虚勢を張るのを忘れなかった。  ――なんだテメエ。横取りしやがったらタダじゃおかねえぞ。言っとくがこちとら播帑(ハリド)の兄弟分よ。テメエが横取りなんざしようもんなら、兄貴が黙っちゃいねえ。いいからおとなしくケツまくって帰んな。  そう啖呵を切った。しかし。  全てを言い終わらぬうちに、距離をつめた白刃が中段を一閃する。  金壺眼が血濡れた切っ先をとらえたときは、すでに裂かれた腹から桃色の腸がはみ出していた。痛みを感じる間も、悲鳴を上げる隙も与えぬまま、返す刃が男の肩から上をとばす。  噴き出た鮮血が、飛沫となって降りかかる。糞便くさい血の匂いが、くすぶる煙と混じり合って辺りに立ちこめた。  頭部を失った身体が血だまりに倒れこむ。  粘ついた表面に焦げた灰を浮かせた血の海が、赤黒い筋を蛇のようにうねらせ、石床に広がるさまは……。  あの時と同じ。  濃厚な血の匂いに、嘔吐とは違う感覚が身体の奥からせりあがる。指先がしびれ、手を離れた剣が石床に落ちて乾いた音をたてた。白刃がまとっていた光りが消え、彼は崩れ落ちるように膝をつく。  唇を震わせながら、血濡れた両手を凝視した。  恐怖と混乱のなかで彼は問いかける。  この血は誰の血だ。  いつものように耳朶の奥で()()が囁く。  お前の父親の血だ。  殺したのは誰だ。  そりゃあ、お前だ。そんなこと、とうに分かっているじゃないか。  せせら笑う口調のアレに、彼は必死に抗った。  ちがうちがう! 殺したのは俺じゃない! 殺したのはあいつだ。あいつが、この俺を、かばって……。  じゃあさ。  必死の抗弁に、アレは冷徹な声で彼を追い詰める。  殺したのがあいつなら、ここにいるお前は、誰なんだ。  なあ、おまえは誰だ? 芳也(ヨシュア)か? 劉哉(ユダ)か? いったいどっちなんだ?    分からない――。  ひどい眩暈に襲われた。  記憶の糸がもつれ始め、ぐるぐると地面が回り始める。前のめりに突っ伏し、蛙のように這いつくばって、途切れかける意識を保とうと必死になった。  気づけば横たわる刃を無我夢中で掴んでいた。白刃に食い込む手の痛みなどものともせず、  これをどこかに隠さなければ――。  その執念ただひとつに突き動かされ、血だまりのなかを這いずりながら、火事場泥棒が掘った穴へとにじり寄る。  光を失った白刃に刻まれるのは、太陽と月、その周囲を取り巻く六つの星の三辰紋。  そして紋を抱くよう左右に配された雌雄の龍であった。  かつて嘉南(カナン)の地に栄え、千年の王国と讃えられた慧焔都(エメラド)。  その高祖であり、最高の武人との誉れ高い六星王荒弩(アラド)が、自らの手で鍛えた覇者の剣。さまざまな伝承に彩られたそれは、いま彼の手で粗末な木鞘に納められ、しばしの眠りについた。  剣の名を龍三辰(ルシダ)という。
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