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episode 29
術後の経過は順調で、思ったよりも早く退院できた。
後遺症もなく記憶もしっかりしている。
退院の手続きを済ませて理人と一緒に外に出ると、私服姿の馨がいた。
「リュウ君、退院おめでとう!」
龍也の入院中、馨は頻繁にお見舞いに来てくれていた。
帰宅途中の事故である事を気に病み、何度もごめんなさいと謝られてしまった。
理人もお見舞いに来てくれたが、なんだかずっと寂しそうな顔をしていた気がする。
「ママ、ありがとう!2、3日お店は休むけど、またしっかり働くから!」
元気よくそう言ったが、馨が困った顔をする。
「あー、その事なんだけど。しばらくお店休んだほうがいいんじゃない?」
病み上がりだということもあるが、やはり帰宅時間が気になるらしい。
重ねて理人も言う。
「知り合いのお店で働いているのは安心だけど、夕方くらいに終わるような仕事を探してみない?」
心配してくれるのはありがたいが、ママもお客さんも好きだし、理人もお店に来てくれるからバイトは続けたかった。
「まぁ、ゆっくり考えましょう」
そう言って少し話したあとママとは病院で別れ、理人の運転で自宅に戻った。
理人が自宅に入るのは初めての事だった。
「理人さん家と違ってかなり狭いけど・・・上がってください」
一人暮らしに狭い部屋に理人を上げることは恥ずかしいが、今更どうすることもできない。
入院していた際の荷物を片し、コーヒーを入れようと立ちかけると手を引かれた。
「いいよ、龍也。・・・おいで」
そう言って抱き寄せられる。
優しく抱きしめてそっと額にキスをする。
「本当に無事でよかった」
理人は何度もそう口にした。
「もう大丈夫です。心配かけてごめんなさい」
そう言って抱きしめる腕に力を込める。
顔を上げると悲しそうに笑う理人と目が合う。
(まただ)
入院中からずっと理人はこの目をしている。
悲しそうな、寂しそうな。
この目を向けられるとなぜだか不安になる。
「理人さん・・・」
キスが欲しくて名前を呼んでも、欲しいところにキスをくれない。
唇にキスをしてくれなくなった。
どうしてだろう、と今日は問う。
「龍也はまだ病み上がりだからね。抑えられなくなるから我慢」
そう言って龍也の唇を指でなぞると理人は立ち上った。
「今日はもう帰るから、龍也はゆっくり休んで」
もう帰ってしまうのか、と寂しく思ったが仕方ない。
忙しいはずの理人は入院中ほぼ毎日見舞いに来てくれていた。
(俺のところに来るために、時間作ってきてくれたんだもんね。俺も我慢しなきゃ)
本当は押し倒してほしいくらいだが、我慢する。
「じゃあまた連絡するから」
そう言って軽く抱きしめ理人は帰っていった。
理人が部屋にいた時間はほんの少しだけれど、部屋にはまだ理人の優しいにおいがする。
(完全に治ったら、またたくさんキスしてくれるよね。また優しい笑顔が見れるよね)
そう期待しながら眠りについた。
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