忌まわしきは煙の中に

15/39
前へ
/939ページ
次へ
「今のお前ならいざ知らず、脱走して間もない時期にそんな場所で働こうとしたことが未だに信じられぬ」 「私も別に乗り気で娼婦をやろうと思ったわけではありません。寧ろ逆です。他人の欲求の捌け口となり、媚を売って日銭を稼ぐなど想像しただけで身の毛が弥立つと考えていました」 「ならば尚のこと理解できん。金が無ければ野垂れ時ぬお前ではないだろう。それほどまでに情報源と言うものは魅力的だったのか?」 「それも違います。屈辱的だからこそ、良い。羽桜龍希の言い付けを守るためです」 「なに……?」 「勿論、娼婦になれと命じられたわけではありませんよ」 ルゴールドは突然龍希の名前が出て来て眉を顰めるブランクを苦笑いしながら宥めた。 「戦いに敗れ、何故自分を殺さないのかと挑発する私に羽桜龍希は這い蹲ってでも生きろと言ったのです。だからこそ、這い蹲るような生き方を選んだ。生を噛み締め、己を罰することで勝者を称え、そして屈辱の中で再起の心を養うために……」 しかしルゴールドは仮初の居場所として選んだ娼婦館とそれを擁する地下街に段々と愛着を持ち始めた。龍希にヒビを入れられた戦闘狂としての存在の中に、地下街の空気が毒のように沁み込んで割り切ると言う考えをできなくさせていたためである。 娼婦を罰としてではなく本当の仕事として受け入れ始めた頃、訪れた客は汚らわしい欲求だけではなく、苦悩や葛藤まで自分ににぶつけていることに気が付いた。それらに触れ、時には文字通り飲み込みながらルゴールドは徐々に人の心に対する興味を開花させた。そして初めて龍希を抹殺すべき宿敵ではなく、興味深い観察の対象として選ぶに至る。 「切っ掛けはどうであれ、あの館は私が人の心を取り戻すための第一歩となった場所です。主にではなく、あの場所そのものに恩を返したかった。今ならそう思えます」
/939ページ

最初のコメントを投稿しよう!

224人が本棚に入れています
本棚に追加