忌まわしきは煙の中に

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有子には龍化できる人間と言う括りで龍希の二番手と言う程度の認識しか持っていなかった越光であったが、先程の出来事で一気に好奇心が噴き出した。身を清めて湯に浸かると、一息吐く間もなく有子にまくし立てる。 「私は君が何度か立ち座りを繰り返し、体を動かすところを間近で見たが、何か音が鳴ったりもしていなかったしそれを気にしてぎこちない動作になったりもしていなかった」 「当然でしょ。タネを仕込んで挙動不審になるマジシャンがこの世のどこにいるって言うのよ」 「そんな哲学的な話はしていない。その驚愕すべき技能を、その若さで身に着けていることに感心しているのだよ。名門とは聞いていたが、それ程までに英才教育を受けていたとは」 「練習は本番のつもりで真剣に、本番は練習をするかのように平常な心で。アスリートやエンターテイナーの間では有名な心構えだけど、エルトの掲げる空鍔家の信条はそれよりも一歩先を行くわ」 その信条とは、練習と本番の境目を消してしまうこと。 マジックの鍛錬を積むことも、客の前でその成果を披露することも、世界一のマジシャンになると言う目標を達成するための過程でしかない。人生の全てをそれに捧げることで練習も本番も日常の中に飲み込んでしまえば良いと言う、一般人からすれば狂気すら感じるものである。 「例えば手の平にコインを一枚挟んで仕込み、そのことを誰にも知られることなく学校生活を過ごす。それを繰り返し続ければ、いずれ体に何かを仕込んだまま振舞うことを意識しなくなる。気は抜かずに意識だけを無にする……口で言えば矛盾しているようにしか聞こえないけど、そんな無茶苦茶をできるまでやり続けるの」 「ならば裸の付き合いをしている今でさえ、何処かに何かを仕込んでいるかもしれないと言うことかい?」 「さあね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」 客やカメラの前でだけ本物であれば良いエンターテイナーとは明らかに異なる存在。心臓が鼓動し息をしている間はマジシャンであり続ける。狂った価値観の先にある美しさに越光は心を奪われた。
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