侵掠如火

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そうなると、恐怖の出所は有子であろうか。自分の知る限り気丈で心の強い女であるが、年端も行かぬ少女であることには変わりない。また最近は龍化の後遺症に苦しめられ、ライズと言う変質者に目を付けられた挙げ句誘拐されかけ、その身代わりとなるように仲間を失った。 精神を擦り減らすような出来事が立て続けに起こっており、気を病んでいないだけでも相当な精神力である。しかし有子もまた、自分の知らない過去に浸るエルトを穏やかな目で見詰めていた。 「ちょっと中に入ってみるか?」 「そうですね。居心地を確かめておくのは大事ですし、いざ隠れる時のために構造を把握しておいた方が良いでしょう」 エルトが穴底に降りるべく壁に手を着くと、早速その感触に驚いた。 「これは……ただの土壁ではないですね」 押し込むとクッションのように指先が沈み、それでいて確りと押し返される手応えがある。単に土を固めただけでは出すことの出来ないしなやかさであり、長時間の隠伏で精神の疲弊を抑えるには欠かすことのできない居心地の問題と真摯に向き合っている工夫にエルトは感動した。 「この洞穴はネスレが長い時間を掛けて伸ばした木の根で覆われてるのさ。だから全体が柔らかいし、多少の身じろぎなら音も立てずに済む」 「本当に入念に準備されていますね。私も有子様がマジック中に隠れる場所などに同じような工夫をすることはありますが、これほどまでに手の込んだものが単なる思い付きで出来上がるとは考えられません……」 非常にありがたいことではあるが、何故これほどまでに立派な避難先が事前に用意されているのかが分からず、少しばかり戸惑いの気持ちもあった。 「なら、それが本質なのかもな」 「……!」 エルトはバニアスの言葉の意味が直ぐに理解できた。本質とは、この洞穴が「何のために」作られたかではない。「誰のために」作られたかである。
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