スカートを履いた日2

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「ダメだよママ! 僕はやっぱり、死にたい!」  突然表から聞こえてきた、野木さんの叫び声。  不可抗力な古賀の魔の手のくんずほぐれつからなんとか逃げ出して、店の外に出た。 「やっぱりもう駄目だよ、死にたい! ママ!」  野木さんが切羽詰まった声で茂美を呼ぶ。その瞬間、茂美が駆け出した。 「おバカー!!!」  助走をつけた茂美の剛腕から繰り出される、ボディブロー。  ……え、ここでボディブロー!?  こういうときってビンタとかして抱き合ったりする、そういうシーンじゃないの!? 「こひゅ!?」  ゴリラのボディブローを受けた野木さんが、聞いた事もない音をあげて倒れ込んだ。  きっと胸が張り裂けそう(物理)なのだろう。  茂美がばんっ、と自分の胸を一度叩き、倒れた野木さんの前に立つ。出たよドラミング。 「どう、野木さん、痛い!?」 「す、凄く痛いれす……」 「それはね、あなたが生きているって証拠なのよ!」 「ママ! そういうことなんだね!」 「ちょ待てよ」  思わず声に出た。いやいや、なにその体育会系理論。  ホスト業界さえ真っ青な力技の説得だ。 「ママァ……」 「野木さん!!」  俺の思いをよそに、ふたりは互いに目に涙をため抱き合っている。  野木さん、いいのかそれで。  いつのまにかとなりに立っていた古賀が、目を細めてうんうんと頷いている。 「なんとも感動的だな」 「ど こ が ?」  こいつはどこまで本気でそう言っているのだろうか。  他の店からもお客さんがぞろぞろと出始めていた。なかには店までタクシーを呼び出しているひともいた。始発まで飲んで帰るつもりが、結局電車に乗るのもだるいほどに疲れてタクシーを呼んでしまう。  こんな光景は、ホストの時もよく見たもんだ。  出ていくお客さんたちを見送るとなりの店のオカマ、向かいの店のオカマ、はす向かいのオネエ、オネエ、オネエ。んんん? ここって。 「この辺は女装バーが多いからな」 「すげえ光景だ……」  なんてこった、至る所でゴリラが手を人間に振っている。  父さん母さん、ゴリラの理想郷はここにあります。  俺は都会のコンクリートジャングルに出てきて、まさかゴリラ溢れるリアルコンクリートジャングルにたどり着くなんて、思いもしませんでした。 「行ってきます」  身を起こして笑顔になった野木さんが手を振った。 「いってらっしゃい。ちゃんと帰ってくるのよ~」  茂美が大きく手を振った。夜の街ではよくあるやり取りだ。 (いってらっしゃい)  野木さんに心の中から、いってらっしゃいの言葉を告げて小さく手をふった。 「ちゃんと言ってあげろよ」  古賀が、俺をはげますように頭を小突いた。  朝の冷たい空気を思い切り吸い込んで、気恥ずかしさを胸の奥にしまい込む。 「野木さん、お仕事いってらっしゃい!」  俺の大声に、野木さんはちょっとだけ振り返り、微笑みながらそっと手をふって答えてくれた。 「家族のために仕事にいくよ」  そう呟いて、奥さんや娘さんののために仕事に向かう。  心の重荷を、ちょっとだけこの店に置いていって……。  疲れきった野木さんの背中が、俺の目には不思議と大きく頼もしく映った。
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