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「野木さん。貴方は自分のご両親とは仲が良い?」
茂美がロックグラスに手を伸ばす。手品のようにロックグラスのひとつが消えた。
手のひらでかすぎだろ。
「両親には感謝してる。きちんと働いて、僕を大学まで行かせてくれてさ」
「いつごろからご両親に感謝できるようになった?」
「うーん、いつだったかな。大学生の途中あたりで、親のありがたさに気付いたかな」
野木さんの組んだ両手のうえに、茂美の手が触れた。
「じゃあさ。娘さんも、もうちょっと待ってあげなよ」
「えっ?」
「野木さん、すっごいイイ男だよ。でも、それに娘さんが気が付くのはね。きっと、野木さんがご両親に感謝出来るようになったのころと同じ年ごろなんじゃない?」
「あっ」
何かに気付いたように、野木さんが顔をあげた。
茂美がそっと野木さんの顔に手を伸ばした。
唐突なアイアンクロー。
……ではない。頬を撫でてあげている。
くすぐったいような光景、店のなかに静かでやわらかな時間が流れた。
「哀しい目、変わっただろ?」
「……ああ」
古賀の言葉に、素直に頷いた。
そして、茂美のことを尊敬し、羨ましくなった。
哀しい目をそっと包み込む優しさ。丁寧に触れて、癒してあげる心遣い。雑なようで、繊細に編み上げられた言葉。
ホストをやっていたとき、俺が自分を指名してくれた女の子たちにやってあげたかったこと。いや、それ以上のことを茂美はやってのけている。俺はそんな茂美の度量と器の大きさに、ただただ純粋に憧れた。
「お釣りはいらないよ」
そういって五千円札を机の上に置いた野木さんが席をたった。もう、いつの間にか始発が動き出す時間になっている。古賀のため息が聞こえ、俺は古賀の視線を追った。
カウンターの横、黒い小さなバインダー。そこには、六九八〇円と記されている。
野木さん、そりゃ確かにお釣りはいらない。でも、お金足りないよ。
茂美がこちらに向けてまぶたを数度、ビクビクと痙攣させている。ウインクだと気付くまでに数分のときを要した。
「気にするなってこと?」
「そういうこと」
席を立った野木さんを、茂美が店の外まで送っていく。古賀も店の入り口まで見送りに出るようなので、俺もそれに続いた。歩くと下半身が異様に寒い。
……ってそうだよ、俺スカート履かされたままじゃん!
慌てて店のなかに引っ込もうとした俺の目が、玄関脇の大きな鏡で止まった。
ちょっとくたびれた顔はしてるけど。
ショートボブの茶髪。ゴリラに施されたメイクでいつもより大きく見えるふたつの瞳。
男にしては細い肩幅と骨格に、なんだか口紅の濃い赤が似合わない初々しい小ぶりの唇。
……あれ、俺、かわいいかも。チェックのスカートから伸びる足は最近メシをろくに食ってなかったせいかスラッとしているし、ブラウスにリボンもいい感じにハマッてるし……。
……あれ? あれあれ? 俺ってば、可愛いじゃん!
変な気持ちだけど、女装、楽しいかも……!?
「すっげー可愛いよ、彰人」
鏡の前の女の子になったような俺にうっかり見惚れていると、突然古賀が低い声で耳元にささやきかけてきた。
その手がスカートに伸びて、っておい!?
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