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「いらっしゃいませー。お弁当温めますか」
店長がよく指摘してくる通り、自分でも“蚊の鳴くような声”だと思う。
でも自分が客だったら、コンビニ店員なんて、これくらいがちょうどいい。
可もなく不可もない接客をして、今、自分が考えていることや思っていることを邪魔しない空気みたいな店員。
「ありがとうございました」
店長はいつもこの後に、「またどうぞ」と付け加える。
もし自分もその真似をして、同じセリフを言えば、あの疲れた親父は喜ぶんだろうと思うのだが、なかなかチャレンジできない。
まず基本給が決まっている自分にとって、「またどうぞ」という言葉を心から言うことが出来ない。
また来る、ということは、また接客をしなければいけない、ということと同義なのだ。
俺はできるだけ動きたくない。話したくない。
とは言っても、入り口のベルが鳴れば、反射的に口が動く。
「いらっしゃいま――――」
だが、“せ”は出てこなかった。
そこには大きなバラが描かれたハイウエストのノースリーブワンピースに身を包んだ、ツバキが立っていた。
カツンカツンカツン。
かかとが高く、紫の煌めく色で細かい刺繍が入ったサンダルが、コンビニの床に、小気味のいい音を立てる。
ストレートのロングヘアが歩くたびにサラサラと右へ左へ靡く。
唇はいつもと同じで、真っ赤だ。
ちらりとその顔はこちらを向く。
「あ……」
こちらの驚いた顔に、訝し気に眉間に皺を寄せる。
そうか。
自分は“あの部屋”ではこの姿ではない。斎藤の彼氏の顔なのだ。この醜男を見てもピンとくるわけはない。
機嫌でも悪いのだろうか。その唇が尖り、顎を突き出しながら、レストルームへと消えていく。
「待ってください、お嬢」
その姿を追って、慌てて入店してきたのは、鎌谷だった。
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