消えたチーズ

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消えたチーズ

 もうずっと前から、冷蔵庫の奥にチーズがほったらかされてる。  濃くて綺麗なクリーム色がラップにくるまれてて、そこそこおっきな塊。端っこには茶色い皮もついてる。たぶん結構高い、ちゃんとしたチーズだと思う。だのにみんなに気にもされないで、棚二段目の右の奥に転がったままになってる。  もったいないなあ、と思う。せっかくの良さそうなチーズなのに、このままだとカビが生えたりしてダメになっちゃう。  わたしにくれたら、おいしいお料理にしてあげるのにな。残り物で工夫するの、わたし得意だよ?  チーズが気になりはじめて、もう一週間くらい経ったと思う。  けどシェアハウスのみんなは誰も、チーズを食べるどころか触りもしてないみたい。ほんと、こんなもったいないことしてるのは誰なんだろう。置きっぱなしじゃ冷蔵庫の収納スペースだって減っちゃうのに。  そろそろ我慢ができなくなって、わたしは他のみんなに訊いてみた。誰が持ち主なの、いつ食べるの、って。  わたしはまず、キッチンにいたミカちゃんに訊いてみた。ミカちゃんは大学四年で、最近お料理を始めたばかりだから、なにかの材料のつもりで買ったのかも。 「知らねーよ」 「ほんとにほんとー?」 「ていうか瞳子じゃなかったのかよ。てっきり瞳子が何か作る用だと思ってた」 「わたしじゃないよー。でもだったら誰かなー」  次にわたしは、共用スペースにいたコズエちゃんに訊いてみた。 「知らない。ってかそんなのあったのね」 「ずっと前からあるよー。コズエちゃん冷蔵庫使ってないのー?」 「ペットボトルくらいしか入れてないからね。でもチーズだったら多分彩音じゃない?」 「そうかなー?」 「美佳じゃないのなら、たぶん彩音の酒のつまみだと思うよ」  アヤネちゃんがちょうど帰ってきたから、訊いてみたらビンゴだった。 「ああ、あれ私の。酒屋(リカーショップ)の福引でチーズが当たったんだけどぉ、ここ一番で食べようと思ってたら、なんかそのままになってた」  コズエちゃん大正解! アヤネちゃんは文学部の院生で語学大好き、それ以上にお酒が大好き。ゼミのみんなと飲みに行った話とかを、共用スペースでだらだらしてる時に、よくわたしたちにしてくれる。 「ここ一番って、たとえばどんなー?」 「修士論文終わった時とか……ああ、でもまだ七月だしそれはないなぁ。うーん」 「しばらくない感じ―?」 「まあそんな感じぃ」 「えっとー、だったらー」  わたしは、思い切ってアヤネちゃんに言ってみた。 「よかったらあれ、ちょっとお料理に使っていいー? ほっといたらいくら冷蔵庫でもカビちゃうし、少しずつでも使った方がいいかなってー」 「全部じゃなきゃいいよぉ。瞳子の料理なら大歓迎!」 「ありがとー! じゃあ、使ったら知らせるねー」  アヤネちゃんにOKをもらって、わたしはさっそく部屋に戻った。  スマホで「チーズ レシピ」を検索すると、思った通りものすごい件数が引っかかってくる。普通の食材なら自分で考えるんだけど、ちょっといいチーズって日頃あんまり使わないし、だったら詳しい人のを参考にするのがいいかなって。  チーズフォンデュは今はだめだなー、チーズ焼きよりは手間かけたいなー、なんて考えながら何ページかめくってみると、ちょうど夏のはじめごろにぴったりなお料理があった。  よーし、これにしよっと。  わたしはそのページをブックマークして、明日の授業の準備を始めた。こないだやっと内定も決まって、もうあとは卒業するだけ。教科書と一緒にエコバッグをかばんに詰めて、わたしは大きく伸びをした。  学校帰りにお買い物すると荷物が重い。せめて教科書とお野菜、どっちか片方ならいいのになあ。  そんなことを考えながら、夕方にわたしは「シェアード桂の森」に帰ってきた。鍵を開けて中に入って、郵便受けを確かめる。 「鈴木彩音」「沢村梢」「瀬川美佳」「宮原瞳子」上から順に並んだ箱の、一番下を確かめたら、葉書が一枚だけ入ってる。見たら、DVDレンタルのお店からだった。 「お誕生月一本無料! って、もうお誕生日はずっと前だよー?」  思わず声に出しちゃった。  今日は七月十一日。わたしの誕生日は七月二日で、パパからもお祝いを送ってもらったりしてたけど、誕生祝いだったらちょっと遅いよここのお店。  というか、会員登録したのも実は今まで忘れてた。なんだったかな、どうしても見たい映画があって、その一本のためだけに登録した気がするんだけど……何だったかもう忘れちゃった。忘れるってことは、あんまり面白くもなかったんだと思う。  捨てるのももったいないから、一応かばんに入れておいて、わたしは玄関にあがった。 「ただいまー」 「瞳子おかえりー」  共用スペースから、コズエちゃんの声だけ返ってきた。 「ミカちゃんとアヤネちゃんはー?」 「美佳なら部屋だよ。彩音はちょっと買い物に行ってる」 「アヤネちゃん、すぐ帰ってくる―?」 「多分ね」  そんな話をしながら、わたしは小走りにキッチンへ行った。エコバッグから食材を出して、テーブルに並べてあげる。  きょう作るのは「トマトと大葉とチーズの冷製パスタ」。使うのは旬のお野菜だし、冷製だからさっぱりしてて暑い日にもおいしいし、いまの季節にぴったりのお料理だと思う。  トマトと大葉、にんにくにパスタ。レシピだとレモンの皮もあったんだけど、それは略でもいいかなと思って買ってない。  とりあえず二人前作るつもりだけど、アヤネちゃんがいいって言ったら、みんなに行き渡る四人分にしたいな。みんなで同じの食べると、お話が弾んで楽しいよね。  調味料棚から、オリーブオイルとぽん酢を出す。さあ、最後に真打・結構高そうなチーズさん! (待っててね、チーズさん)  キッチンの大きな冷蔵庫を開けて、チーズを出そうとして……わたしは困ってしまった。 (チーズ、ない……?)  毎日毎日、チーズが変わらず置いてあった棚二段目の右の奥に、なにもない。  念のために、他の所も確かめてみる。けど一段目にも三段目にも、野菜入れにも冷凍庫にも、あのそこそこおっきなチーズは影も形も見当たらなかった。
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