やるせない思い出

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やるせない思い出

「瞳子、食べ物は残しちゃダメよ」  ママはいつも、わたしにそう言ってた。  苦いピーマンや、中がドロッとしたトマト、赤いのに青臭い人参。小さい頃どうしても食べられなくて、よけちゃったことがある。そのたびにママに叱られた。農家さんが一生懸命作ってくれたんだから、無駄にしちゃダメ、って。  それでもどうしても人参が無理で、パパに食べてもらったことがある。そしたら次の日の晩ご飯、わたしの目の前には、小さなお皿に山盛りになった人参が置いてあった。 「食べてみて、瞳子」  嫌だって泣いても聞いてもらえなくて、目をつぶって一番小さいのを口に入れた。  そこで、わたしは本当にびっくりした。 (この人参、甘い……)  きっとその時のわたしは、おもいっきり目を丸くしてたと思う。  ママは笑って言った。 「甘いグラッセにしてみたの。どう? これなら食べられる?」  きっとあの時、わかったんだと思う。  食べものの味は、お料理の仕方で変わるんだって。  おいしくなるように作れば、だいたいのものはおいしくなるんだって。  ママは中学の時にいなくなっちゃって、それからご飯を作るのは私のお仕事になった。  いっぱい失敗して、いっぱいおいしくないお料理も作っちゃって、でもパパは笑って全部食べてくれた。 「瞳子ががんばって作ってくれたんだ、パパはなんだっておいしいよ」  お焦げだらけのシチューもパサパサのハンバーグも、そう言って残さず食べてくれた。 「瞳子にばかり苦労をかけてすまないね」  そう言って頷きながら、私の頭をなでてくれた。  昔がそんなだったから、なのかなあ。  残り物を見ると、なんとかしたくなっちゃう。どうにかしておいしくできないかなあ、って考えちゃう。  ほんと、あのチーズさん、どこにいっちゃったんだろう。 (誰が持ってっちゃったのかなあ……)  持って行った人、おいしく食べてくれてるといいな。でももし捨てちゃってたら、ちょっと悲しい。  ずっとほったらかされたまま、冷蔵庫の隅っこで黙ってるだけだったチーズさん。寂しいよね、ずっと気にもされずに、最後は捨てられるだけなんて。 (これが野菜や果物だったら、こうはならないよね、きっと)  傷みやすい食材なら、こんなにずっと放っておかれはしないと思う。悪くなりだしたら誰かが見つけて、どうにかして使いきれないか考えて、何かのお料理になる。  でもチーズさんはそうじゃない。丈夫で長持ちして、悪くなることもなくて、だからずっと、みんなに気にもされなかった。  ふと、机の上の封筒が目についた。ちょっと前の誕生日に、パパがプレゼントと一緒に送ってくれたお手紙だった。  白無地の便箋を取り出して、もう何度目かわからないけど、読み返してみる。 『瞳子へ  二十歳の誕生日おめでとう。あの小さかった瞳子が、もう大人になったんだね。正直パパは、まだあんまり実感がわきません。  ママが亡くなってから、瞳子にはずっと苦労をかけてきたね。学校もあったのに、毎日料理を作るのは本当に大変だったと思う。  でも瞳子は弱音の一つも言わず、今日までずっとがんばってくれたね。瞳子の笑顔に、パパは何度励まされたかわからない。瞳子が毎日とってもがんばっていることは、天国のママもきっと見てくれているはずだよ。  就活もお疲れさま。内定も出て、来年からは瞳子も社会人だね。夏休み、立派になった瞳子の顔を見られることを楽しみにしています。  パパより』  便箋の横には小さな箱があって、赤バラのアップ写真の真ん中に「Perfume」って金色の筆記体で小さく書いてある。パパが送ってくれた誕生日プレゼント……なんだけど、着いたのは誕生日から三日経ってからだった。香水は飛行機に乗らなくて、それで遅れちゃったんだって。パパ、いつも最後の最後で詰めが甘いよ? (でも珍しいな。パパがバラの香水なんて)  パパ、わたしがおとなになるの、あんまり嬉しくなさそうだったのに。  わたしが台所でお料理してると、パパはなんだか悲しそうだった。お化粧したりおとなっぽい服を着たりしたときも、「似合うよ」とは言ってくれたけど……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、顔が引きつってた。  だからお家で、おとなっぽい服は着ないようにしてた。しゃべる時もすこし最後を伸ばして、こどもっぽく聞こえるようにしてみたり。  そうして笑ってたら、パパも元気でいてくれるかなって……思ってたんだけど。  はあ、と、思わずため息が出た。  パパの言うとおり、わたしはずっと笑ってたと思う。泣いちゃいけない、と思ってたから。  ママがいないから、パパしかいないから、あの子は泣いてるんだ。そんな風に思われるの、絶対に嫌だった。  パパの前で泣いて、どうして? って訊かれるのも嫌だった。  だからわたしは、いつでも笑ってた。笑うようにしてた。  けど。 (ほんとに……それでよかったのかな……?)  ふと、ミカちゃんのことを思い出す。  ミカちゃんはほんとによく怒る。ときどきお部屋で泣いてることもある。このシェアハウスで最初に会ったときは、けっこうびっくりした。わたしより年上なのに子供みたいだな、って。  でもミカちゃんは、よく笑う。  よく泣いたり怒ったりする分、笑うときはとってもすてきに笑う。私のお料理を気に入ってくれた時とか、きりっとした目を細めて、頬をほんのり赤くして、すっごく綺麗に笑うんだ。 (わたしは……どうなのかな……)  わたし、あのチーズさんみたいだな、と思う。  ミカちゃんは野菜や果物みたい。傷つきやすくてすぐ悪くなって、でもお料理には使いやすくて、みんなに気にもしてもらえる。  私はいつも笑ってる。悪くならない。だから気にされなくて、お料理にもなかなかなれなくって、冷蔵庫の隅っこでひとりぼっち。 (でもわたし、泣いたり怒ったり……できないから)  泣かないって決めて、もう何年にもなる。就活で辛かった時は泣いちゃったこともあったけど、思い出せるのはその時くらい。小さな泣き方や怒り方は、もうずっと忘れちゃってる気がする。 (チーズさん……ほんと、どこ行っちゃったのかな)  チーズさん、誰が持って行っちゃったんだろ。  おいしく食べてもらえてるといいな。大事にしてもらえてるといいな。  捨てられてないと、いいな。  部屋でぼうっとしながら、わたしはみんなの話を思い出してみた。  誰がチーズさんを持って行ったんだろう。  正直ミカちゃんが一番怪しい、と思う。チーズの話を出した時、変な反応してたから。  でもコズエちゃんの話だと、今朝からわたしが帰るまでの間、ミカちゃんはキッチンに行ってない。  アヤネちゃんはどうだろう。持ち主なんだから、チーズさんを一番好きにできる、はず。  アヤネちゃん本人は知らないって言ってるけど……でもでも、それがもし本当のことじゃなかったら?  あれ、でもちょっと待って。  本当のことを言ってない、ということなら……コズエちゃんはどうだろう。もしチーズを持って行ったのがコズエちゃんで、コズエちゃんはそれを隠している……としたら? (うーん、でもそうだとすると、コズエちゃんがミカちゃんを助ける理由がないなあ)  チーズを持って行ったのがコズエちゃんだとしたら、ミカちゃんが疑われてた方が都合がいいよね。だったらどうして、コズエちゃんはミカちゃんの「アリバイ」を作るようなこと、言ったのかな? (でもでも、よくよく考えてみたら、嘘ついてるのはひとりじゃないのかも?)  ミカちゃんとコズエちゃんが共犯……だったらどうだろう?  ミカちゃんがチーズを取って、コズエちゃんがそれを隠して。そうだとしたら、アヤネちゃんだけが何も知らないのも不思議じゃない。 (たぶん……これが、正解なのかな?)  うん。多分これだと思う。  でもなんだか、もうちょっとひっかかることがある。ミカちゃんとコズエちゃんが共犯だとして、「動機」はなんだろう。探偵ものだとだいたい、犯人には動機があるものだよね。  いったいどうして、ミカちゃんとコズエちゃんはチーズさんを――  考えかけたとき、急に、ドアをノックする音が聞こえてきた。 「瞳子ぉ―」  アヤネちゃんの声だ。 「なあにー?」 「出てきてくれないかなぁ。ちょっと話があるんだ」 「話ってなんのー?」 「ここじゃ言えない。まずはちょっと、共用スペースに来てぇ」  なんだろう?  首を傾げながら、わたしは部屋の扉を開けた。
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