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おいしい解決
ドアを開けると、急に大きな音が弾けた。
ぱん、ぱぁん――同時にかすかに、火薬の匂いがする。
見ればミカちゃん・コズエちゃん・アヤネちゃんが、わたしを取り囲むように立っていた。みんなの手に、うっすら煙を上げるクラッカーがあった。
「瞳子、お誕生日おめでとう!」
「おめでとぉー」
「おめでとうね!」
みんなが口々にお祝いを言ってくれる。わたしは、ぽかんとしてしまった。
「わたしのお誕生日、もう十日ぐらい前だよー?」
「知ってるんだけど、皆の都合がなかなか揃わなくてぇ」
アヤネちゃんが苦笑いしながら言った。
「サプライズパーティーしようと思ってたんだけどぉ、結局こんな遅くになっちゃって。ごめんね」
「えっと……じゃあ、あのチーズさんはー?」
ミカちゃんが、どこか照れくさそうに、親指で後ろを指した。
テーブルの上に大皿が二つあって、一つではたっぷりチーズがかかった何かのお料理が、あったかそうな湯気をあげてる。もう一つには、綺麗にスライスされたチーズが渦巻を描いて並んでる。
「夕方に作って、あたしの部屋に置いといたんだ。バレたら困るからな……本当は瞳子が帰るまでに出しとくつもりだったんだけど、彩音が遅くなっちまって」
「ごめんねぇ。でも、結果オーライだったでしょ?」
「ってことは……アヤネちゃんが何も知らないって言ってたのも――」
「ほんとごめん、でも知ってるって言ったら、このことバレちゃうかもしれないしぃ」
「みんなして嘘ついてたんだねー?」
「そこは悪かった……瞳子にチーズの持ち主訊かれて、急にあれを使うことを思いついたんだ。彩音に相談したら即OK出たからさ」
「そんなにすぐ、瞳子がチーズを使うつもりだったなんて思わなかったからぁ」
わたしはテーブルに近づいてみた。
お皿に、いっぱいのナスとトマトが並んでる。多分油で炒めたのかな、どっちもしんなり焼き色がついて、てらてら光ってる。そしてその上で、たっぷりのチーズが溶けてトロトロになってた。ピザみたいな、いい匂いがしてる。
「ナスとトマトとチーズのグラタン風……だ」
頭を掻きながら、ミカちゃんが言った。
「オリーブオイルで炒めて、チーズを乗せてオーブンで焼いた。失敗はしてねえと思う……多分」
「美佳がどうしても、瞳子になんか作りたいって言ってねぇ。私的には、そのままつまんだ方がおいしいと思うんだけどぉ」
言いつつアヤネちゃんは、エコバッグを高く持ち上げてみせてくれた。アヤネちゃんがさっき買ってきてた、たくさんのお酒だ。……これ、アヤネちゃんが自分で飲む分じゃなかったの?
「瞳子、二十歳おめでとぉ。二十歳といえばお酒解禁! 瞳子、もう飲んだぁ?」
「ううん、まだー」
「ならよかった! 最初に変な安酒飲まされちゃうと、そのままお酒嫌いになる子もいるからねぇ」
言いながらアヤネちゃんは、エコバッグの中身を順々にテーブルに置いていく。ラベルは読めないけど、赤と白のワインが半々ずつ並んだ。
「やっぱ初めてだし、初心者向けのワインを何本か選んできたよぉ。酒屋の店長も、お酒初めての子にって言ったら真剣に選んでくれたし。一部ちょっと意見合わなくて熱くなったりもしたけどねぇ」
「それで遅くなってたのかよ……」
「ま、結果オーライ。それで瞳子、記念すべき人生最初の一杯はどれにするぅ?」
わたしは困ってしまった。並んでるラベルはみんなお洒落だけど、どれがいいのかは全然わからない。
「どれがどれだかよくわからないー」
「えっと、まずこっちがドイツのリープフラウミルヒにシュヴァルツ・カッツ。こっちはチリのコノスル、あとフランスのボジョレー・ヴィラージュ……」
「ボジョレーって秋じゃないのー?」
「あれは新酒の解禁日。普通のボジョレーワインは年中出回ってるよ」
「どれがおいしいのー?」
訊くと、アヤネちゃんはどこか得意そうに笑った。
「どれもみんな、違う方向性でおいしいよぉ。ドイツワイン二本は甘くて飲みやすいと思う。ボジョレーも軽くて口当たりがいいけど、赤だからドイツの白よりは重いかなぁ。コノスルは安いけどしっかりした赤ワインだよ、そのぶん渋みも入ってるから、ワイン初めてだと少し抵抗あるかもねぇ」
うーん、やっぱりよくわからない。
みんなに注目されながら、わたしは考え込んでしまった。初めてだと甘いのがいいのかな? でもしっかりしたワイン、というのも気になるし。
もうアヤネちゃんに任せちゃおうかな――そう思いかけた時、並ぶ瓶の後ろに、ナスとトマトのグラタン風料理のお皿が見えた。
「アヤネちゃん、訊いていいー?」
「いいよ、何?」
「ミカちゃんのお料理が一番おいしくなるお酒、どれかなー?」
あれ、ミカちゃんの顔が真っ赤になった。
照れくさそうに下を向いて、そわそわし始めちゃった。
でもそんなことおかまいなしに、アヤネちゃんは笑って答えてくれた。
「そうだね、あれだとたぶんチーズの味が勝ってると思うけど……このチーズは軽い赤が合うらしいから、そうなるとボジョレーかなぁ」
「じゃあ、それがいいー」
アヤネちゃんが、大きなネジみたいな不思議な道具で栓を抜いてくれた。そうして、ガラスのワイングラスを手にとった。
「はじめてだったら、いいグラスで飲んだ方がいいよねぇ。今日だけ特別」
「味、グラスで違うんだー?」
「ちゃんとした店だと、ワインの種類ごとにグラスが違ったりするんだよぉ」
言いながらアヤネちゃんは、ワインをグラスの半分くらい注いで、わたしに渡してくれた。
他の三人分も、マグカップや普通のガラスのコップに次々注いでいく。全員分揃ったところで、みんなはめいめい自分のを手に取った。
「それじゃあ。瞳子の二十歳の誕生日を祝って……乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!!」
「かんぱいー!」
ワイングラスから、お酒を一口含む。
(……う)
なんだか、思ったより渋い。
軽いっていうから、ぶどうジュースみたいなものかなと思ってたんだけど……さすがに、そんなことはないみたい。アルコールのつんとくる味に、ほんのちょっとの渋みが加わって、なんだか、今まで知らない味だ。
グラスを置いたところで、わたしは自分がさっき言ったことを思い出した。
(ミカちゃんのお料理が、一番おいしくなるお酒……)
わたしはお料理を小皿に取り分けた。ナスとトマトをひとつずつ、チーズが一番たっぷり溶けてるところを選んで取った。
「それじゃミカちゃん、いただきますー」
頭だけで軽く礼をして、最初はトマトの方を口に運ぶ。
(……あ)
ほんとだ。一緒に食べると、これすごくおいしい。
口に入れると、オリーブオイルとチーズの香ばしさが口一杯に広がってくる。それで本当に不思議なんだけど、ワインの渋みにチーズの味が合わさると、渋いのがなんだか気にならない。濃くてまろやかな塩味が、渋さのとげとげを包んでやわらかくしてくれるみたいで……渋みそのものは消えてないはずなんだけど、なんだかすっかり別のものに感じられてしまう。
わたしはもう一口ワインを飲んだ。やっぱり、渋みがチーズの味と一緒になって、おいしい何かに変わってるように感じる。
自然と、お料理にも手が伸びる。……これが「お酒が進む」ってことなのかな?
「うまいか、瞳子?」
やっぱり顔を真っ赤にしたまま、ミカちゃんが覗き込んでくる。わたしはお酒とお料理を飲み込んで、言った。
「すっごくおいしいよー、ミカちゃん! これミカちゃんが全部作ったの?」
「私もちょっと手伝ったよ。でもレシピ見つけてきたのは美佳」
コズエちゃんが言った。
「料理もいいけど、チーズそのまま食べるのも美味しいと思うよぉ。そっちに切ってある分は好きなだけ食べていいよ、食べちゃっても、まだ切ってない分があるし」
「え、まだチーズさんの残りあるのー?」
アヤネちゃんは頷いた。
「まだもうちょっと残ってるよ。思ってたよりだいぶ量あったし、あれ」
「だったらー、八十グラムくらい残してくれないかなー。わたし、パスタ作ろうと思ってたんだ―」
おお、と、みんなの声が上がる。
「瞳子のパスタ! たのしみー」
「あたしも、よかったら手伝うぜ?」
「ミカちゃんありがとー」
「八十グラムか……多分ギリギリあるかな。好きに使っていいよぉ」
「やったー!」
口々に話しながら、みんなと一緒にお料理とワインを食べる。
本当においしい。渋みもアルコールのピリピリも、全部チーズさんが包み込んでくれる。
おいしいお料理を、みんなの笑い声が包み込んでくれる。
ふと、思い出す。
まだ実家にいた頃、夜中に目が覚めると、ときどきキッチンの灯りが点いてることがあった。
こっそり覗いてみると、パパが背中を丸めてテーブルの前に座ってた。
テーブルの上には銀色の缶が、橙色の電球に照らされていっぱい光ってた。
パパっていつも、詰めが甘いよ?
わたしが見てないと思ってたのかな。
わたし、ちゃんと知ってるよ。次の朝、資源ごみのくず入れに、くしゃっと潰れたスーパードライの空き缶がいくつも入ってたこと。
ワイングラスが空になったところで、わたしはアヤネちゃんに訊いてみた。
「このお料理、ビールもおいしくなるかなー?」
「お、瞳子ビールも飲みたいんだぁ。チーズに合うのはワインだと思うけど、まあビールでも悪くはないんじゃないかなぁ」
「そうなんだー。ミカちゃん、これのレシピ教えてもらっていい―?」
言いながら、わたしはミカちゃんを見た。
ミカちゃんは、ほっぺたを真っ赤にして笑ってた。ほんのちょっと、照れくさそうだった。
「ああ。あとでURL送っとくな」
「ありがとー! これ、すっごくおいしいからー」
ミカちゃんは、目を細めて何度も、頷いてくれた。
ねえ、パパ。
今度のお盆、ちょっといいチーズを買って帰るね。
トマトとナスと合わせて、おいしいお料理を作るね。
そしたら、ふたりでスーパードライ飲もう。お料理と一緒なら、きっととってもおいしいから。
バラの香水も付けていくね。お料理の邪魔にならないくらいの、ほんのちょっとだけ。
パパ。
わたし、もう、おとなになったんだよ。
【完】
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