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 今回、カケが賞をもぎ取った作品のタイトルは、「丸命」。マルイイノチ、と書いて「マルメイ」と読ませるそうだ。意味を問うと、自分の命は本人だけのものではなく、他人でしかない誰かとも実は繋がっていて、軽はずみな行動や行き過ぎた行為によって次々と周囲の人間が巻き込まれ、やがてすべての災難が自分自身に集約されて戻ってくる、という人間真理を想起させるスラップスティックな悲喜劇である、との実にややこしい答えが返ってきた。 「……それって、丸いじゃなくて円滑の円の方が良くないかい?」  思わず素直な感想を述べると、 「そうなんっすよねぇー」  とカケは腹の底から後悔を吐き出した。「今更なんですよ、でも」 「あはは、別に間違いってほどでもないけど、賞獲っちゃうんだもんね、それでもね」 「ねー」  だが、笑い話はここまでだった。  カケは、僕よりひとつ年下の三十一歳である。  むろん年寄ではないが、業界を活性化させる程話題性のある若さでもない。もし十代で華々しい賞デビューを飾っていたならば、文芸誌に顔写真入りで大仰な特集が組まれたことだろう。だが、そういった輝かしい実績もなく、作成した名刺の肩書に「小説家」と書いて良いものか思い悩む程度のポジションなのだそうだ。来歴としては、二十代で一度短編集が書籍化し、唯一の長編作品は単行本企画の段階でストップしたままだという。今回賞を獲れたことで、短編集の文庫化、長編作品の単行本化に期待がもてるらしい。 「今回ちょっと本気で入り込んでみようと思って、いわゆる缶詰ってやつを決行したわけなんです」 「へえ、どのくらい?」 「一週間です。家を出て、環境変えて、便利な生活捨てて、一週間籠ってみっちり、構想から執筆まで、軌道に乗るまでがっつりと作品に入り込もうって」 「うん。ホテルかなんか、取って?」 「……そこなんですよ」  カケの話によれば、小説の執筆に際して缶詰状態に身を置こうと考えたのは、そもそも自発的ではなかったそうである。インターネットの募集広告が目に止まったのをきっかけに、条件の良い宿泊プランを見つけたことで、缶詰の決行に思い至ったそうなのだ。 「宿泊プランねえ。どこかのリゾート地とか、そういうアレ?」 「山深い静かな森の中にある洋館、ってやつです。なんか昔映画で流行ったじゃないですか、ミザリーとか」 「ああ、うん、シャイニングかな、あったね。でも、小説を書くには丁度良かっただろう。静かで、下界の誘惑を断ち切れる」 「それはそうなんです。だけど、今こうして無事帰ってこれたのが不思議なくらいでしたよ。本当、思い返すだけで嫌ぁな気持ちになりますもん」 「その洋館で怖い思いをしたってわけか。なるほどね。でも安心しなよ、今電話で話をしてる限り、カケの側におかしな気配は感じないから」 「本当ですか? ああ、でも確かに、新開くん昔から霊感強かったですもんね」 「まあね。それで、何があったんだい?」 「それがですね、思い返せば、最初から変だったんですよ」  実際に応募して予約を取り、意気込んで訪れた洋館は予想以上に居心地の良い場所だったそうだ。山と言ってもなだからな勾配が延々と続くだけの丘陵地だったが、確かに近辺に集落の無い静かな森の中ではあった。訪れた季節が良かったのか、わずらわしい虫の音や獣たちの気配も感じられない。解放感のある広場にぽつんと建っている白くて大きな館に、カケは思わず目を奪われたそうだ。  洋館の主人は鈴木律(すずきりつ)(仮名)さんと言って、五十代半ばから六十代くらいの女性である。先立たれた夫の残した土地と建物を宿泊施設として活用し、細々と暮らしているとのことだった。 「実際良いところだったんです。だもんで、挨拶がてら色々褒めたんですよ。静かな環境とか、手入れの行き届いた建物とか。で、一週間と言わずひと月くらいお世話になりたいなーなんて、嘘でも言ってみたりするじゃないですか。だけど」  その女主人はニコリともせず、 「一週間で、結構です」  と断ったというのだ。 「今にして思えばですけど、一週間で良いです、みたいな感じじゃなかったんですよ。一週間あれば十分です、って。なんかそういう言い方にも思えるんですよ」 「十分って?」 「もう必要ない、みたいな」 「必要って。カケ、お客さんとして行ったわけじゃないの? なにか宿泊費用の代わりに住み込みで働くとか、そういう条件だったの?」 「いやいや、普通に宿泊客ですよ、前払いの」 「……変だね」  とは言え、実際用意された部屋は簡素な作りながらとても清潔で、テレビも冷蔵庫もない分、その不便さが却って執筆への意欲を高まらせる効果を発揮したという。今回賞を獲った「マルメイ」はこの洋館で書かれたわけだから、女主人の愛想の無さは別にしても、その一週間は実りのある時間を過ごせたに違いなかった。 「だけど僕、主に昼から夜にかけてを執筆の時間にあててたんですけど、いつも夜中になると、部屋の扉が開く音で現実に引き戻されるんです」 「なんの扉?」 「部屋の出入り口です」 「……開くって、それは、ひとりでにって意味?」 「そうです。カチャ、って。扉が勝手に開くんです。初日の晩からそうでした」
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