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 カケの泊まっていた部屋は三階にある眺めの良い部屋で、大きな出窓に面して木製の机が置かれていた。その窓からはこの洋館へ辿り着くまでに登って来た緩やかな勾配が見下ろせ、遠く彼方には麓の街が見えた。机に向かって執筆する間、窓の外からは時間とともに移ろいゆく雄大な自然を楽しむことが出来たという。  しかし部屋の出入り口はその時ちょうどカケの真後ろにあり、突然扉が開く音に飛び上がるほど驚かされるのだそうだ。 「それもなんか、全開じゃないんですよ。人の力を感じないというか、立て付けの悪さで風に引っ掛けられて開く、みたいな。カチャ……って。その音がもう本当怖くて」 「いや、でも今カケが言った通りなんじゃないの。古い建物ならあるよそれは」 「風なんか吹いてませんよ、窓閉めてましたし」 「傾いてるとかさ」 「ああ、まあ。……いや、でも」  ほぼ毎晩、それは起こるという。三日目に気が付いたそうだ。  扉が開き、驚いて振り返るも、そこには誰もいない。僅かに隙間風が通る程度にしか開いておらず、思い切って部屋の外に首を出して確認するも、やはり廊下に人の姿はなかった。机の上に置いていたアナログ式の時計を見やると、午前零時十二分。初日の晩も、二日目も、おそらく同じ時間だった気がする、という。 「ううん、確かにまあ、気味が悪いのは、そうだね」 「ですよねえ。新開くん、どう思います?」 「どうって言われてもなあ、今の話だけじゃあ、なんとも」 「ね、僕もそう思って」 「だけどカケは、それを幽霊の仕業だって思ってるの?」 「はい。なんで僕、よせばいいのに、机の上に鏡置いたんですよ」 「え」  ぞっとした。 「扉が開く瞬間を見てやろうと思って」 「よくそんな真似が出来るね。僕は嫌だ、そういうの、怖い」 「いやいや、新開くんが言うことじゃないでしょ」  カケとしては、なんとかして扉が開く原因を突き止めたかったそうだ。それは幽霊の存在を確認したかったからではなく、風か、あるいは人の手によるイタズラであることを証明したかったのだという。机の上には丸いアナログ式の時計を置いていた。そしてその後ろにほぼ同じサイスの丸い小さな鏡を隠し、定刻が迫れば前後を入れ替えて待機する、という計画だった。 「……見たのかい?」  声を潜めた僕の問いにカケは少しの間黙りこみ、やがて、 「多分」  と答えた。  午前零時を回った辺りから、ずっと鏡を時計の前に置いて部屋の出入り口を映していたそうだ。  部屋の扉は木製の外開きで、真鍮のドアノブを捻って回すタイプだという。立て付けが悪ければひとりでに開くこともあるだろうし、ラッチと呼ばれる金属の爪部分が引っ込む音、または戻る音が静かな部屋に響く光景は、想像するだけでじわりと冷や汗が浮かんでくる。 「四日目の晩でした。もう小説なんて書けやしないですよ。僕、ずっと鏡睨んでました。すると、零時十二分になった途端」  カ、チャ……。 「開いたんですよ」  カケは驚きのあまり飛び上がると、勢いよく振り返って扉のもとへ走った。だが勢い余って椅子に足を引っかけて転んでしまい、廊下の外に出た時にはなんの気配も感じられなかったそうだ。 「だけど僕、はっきり見たんです」 「……何を」 「目です」 「目!?」 「誰かが覗いてました。あれが幽霊じゃないなら、他の宿泊客か、オーナーの女主人しかありえません。僕がうら若い乙女だってんならまた話は違うんでしょうが、毎晩決まった時間に男の部屋を覗きに来る好き者もいないでしょうから……やっぱり」 「……怖いな」  カケの話を聞く間、僕は何度も自室の扉を振り返っていた。なんなら最後の方はずっと、自分の部屋の扉が開かないか睨みつけていた。かくいう僕の部屋もカケの泊まった客室と同じ、出窓に面して机を置き、座った時には丁度僕の背後に扉が来るようになっていたのだ。……明日、模様替えをしよう。 「で、次の日です」  カケはまた、同じことを繰り返したのだという。 「昨晩の僕の様子を見ていたんなら、僕が扉の開く音に反応していることには気が付いたでしょうから、もしかしたら翌日は開かないんじゃないかとも思ったんですがね」 「……開いたんだね?」 「開きました」  宿泊五日目の、午前零時十二分。  カチャ。  カケは綺麗に身を反転させ、膝の屈伸を使って一足で部屋の扉へと駆けた。計画では、ドアノブは握らず扉に手を押し当てて外側へ開く算段だった。しかし、 「扉の前に立った時、体が……言う事を聞きませんでした」  そう、カケは震えた声を出した。 「部屋の中に……。立ち上がった僕のすぐ隣に、真っ黒い何かが立っていたんです」
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