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「え…?」
しかし、その数日後に大学からの郵便物が我が家に届いた。内容はアルコールパッチテスト一式。中には「自分の体質を知ろう!」と派手に描かれた正しい飲酒方法の啓蒙ポスターやパッチテストのやり方の説明プリントなどがわんさと入っている。
「私、まだ18歳…」
言ってからすぐに気づく。浪人。確かに入学式で、どうしてもこの大学に来たくて2年浪人したって同級生がいたのを思い出した。
けれどなんだってこのタイミングで届くのか。誰かに監視されているのか?という誇大被害妄想が頭を占める。
「でも一応、やっとかないと、なの…?」
今一度、内容物を読んでみるが、パッチテストの結果を大学に報告するとか、やらないことによるペナルティはなさそうだった。それに対する安堵とちょっと残念な気持ちが沸きあがる。
けれども、結局、好奇心は猫をも殺すのだ。
これで反応さえ出てくれれば、私は大手を振って、私の世界からアルコールを排除できる。
親戚の「お父さん」たちが口にしていたのは推測に過ぎない。
私が大酒呑みになる可能性は、1/2。
そうして、私はフィルを外すとペタリと自分の腕にそれを貼り付けた。
「それで?何の反応もなかった、と?」
頷くと、ビールn (nには任意の正数) 杯は軽く呷ったであろう友人はテーブルに拳をガンと振り下ろした。n杯となっているのは、途中から数えるのを諦めたから。
「それだら、4年間お酒を1滴だって、せっ取してないって言うの!?じゃあ、あたしと飲んらあの時間はなんだったんだよ~!」
完全に酔っぱらっている。あーダメだ。私の帰りたいメーターは限界値を突破してる。でも、彼女を置いて帰る訳にもいかないし、何よりお店に迷惑なので面倒を見る以外に選択肢がない。
「ほらほら、もうお水飲んで」
「水なんて飲んでられった!すませーん!ビール追加、おなしゃーす!」
n+1杯目。しかもそれを若くて元気そうな店員は耳聡く拾ってしまった。威勢のいい注文受領の声が聞こえる。というかビール追加っていう部分だけきちんと言えるだなんて、人間としてどういう機能をしているんだ。
目の前のこの飲んだくれは大学以来の女友達。学部も学科も同じで、1年から4年までずっと一緒にいた。唯一私が、お酒は飲めるけど飲めないことをカミングアウトしている友人でもある。
そう、あのパッチテストから、4年という年月が経とうとしていた。
もうお分かりかだろうが、あのパッチテストで、4年前の私の皮膚には何の変化も現れなかった。一瞬も赤みが差すことはなく、受験期に閉じこもって日焼けの抜けた白い腕の内側は不健康なくらい元の色を保っていた。
同封されていた結果の見方に沿うと、ADHL2活性型っぽい。体内でアルコールを分解する力が強いらしい。このタイプの人は、お酒を飲めはしますが、自分の許容量をきちんと把握して自重しましょう!とポップな字体で書いてある。
ああ、やってしまった。自分は父の遺伝子を継いでしまった。酒呑みの遺伝子を色濃く継いでしまったのだ。
こうなってくるとポップな字体ですら恨めしい。
これから私は、身体の上ではお酒が飲めるが、心の上でお酒が飲めないと、総じて「お酒が飲めない」とみんなを騙し続けなければいけないことが決まった。
それはそれで構わない。お酒を飲まないことはいいことだと思う。
けれど、人に嘘を吐き続けなければならない状況には、少し胸が痛む。
2年生に進級して、20歳になってすぐの数か月は「すみません、お酒はちょっと…」と言葉を濁していられた。サークルやゼミの飲み会の冒頭、その言葉を呟けば、相手は勝手に想像してくれる。そして私はソフトドリンクのメニュー表を手に入れる。
「お酒飲めなくて……あはは……」
好意的に差し出されたアルコールのメニュー表を丁寧に断れば断り続けるほど、相手のちょっぴり残念がる顔に傷ついた。
「そっか…。じゃあ…」
そっか、の後のその少しの間は何だ。悲しそうにしょげてくれるな。私だって肩身が狭いんだ。嘘を吐いているこっちの身にもなってくれ…。
日に日に息苦しさは増してしまい、とうとう、私は彼女に打ち明けてしまった。
「おみゃーはさ、やさしーんだよ。あたしはその優しさにすくわ……zzz」
何を言ってるんだかさっぱり。いつの間に運ばれてきていたジョッキは半分が飲み干されていて、炭酸の抜けた黄色の清涼飲料水のように見えた。
「ありがとね。本当に。私の方が感謝したいくらいだよ」
まぁ何度もこの話はしてるんだけどさ。お酒飲む度にこの話をするから、こっちはたまったもんじゃない。
目の前の友人には本当に助けられた。
私が意を決してカミングアウトした日、彼女はキョトンと目を丸くしながらも、「あ、そうなの」と事もなげにサラリと流した。
そのあまりにも淡白な反応に、逆にこっちが目を丸くしていると、彼女は笑った。
「大丈夫。誰にも言わない。その代わり、今まで通り、晩酌には付き合ってよ?」
「う、うん」とぎこちなく頷くと、彼女は満足したように、
「一人酒よりも、誰かと一緒に飲むお酒のほーが私は好きなんだよなぁ」
と言った。そしてテーブルにやってきたビールに口をつける。
あの時も、そのビールはn+1杯目だったはずだ。つまり、酔っていた。けれど、今日のように酩酊するわけでもなく、いつになく真剣な顔で私のことを受け入れた。
それから1年と数か月、彼女は本当にそのことを誰にも言わなかった。別の飲み会で、酔って口を滑らせる、と言った話も私の知る限りではない。
私も、彼女以外に打ち明けるはずもなく、相変わらずお酒の席は息苦しさでいっぱいだった。
それでも「晩酌」と、度々呼び出される彼女とのお酒の席は、私も酔ったようにふわふわと楽しく、舌は滑らかに回った。
「しゅーしょくしてもご飯食べにいこー…?約束だぞ…?」
「うん」
この3月を越えたら、私は大手メーカーの営業職に就く。彼女は大学院に進む。
口では約束したって、生活リズムが根本的に変われば、必然的にその約束は薄れていくだろう。
また私はお酒のビンの中に閉じ込められてしまう。
栓を抜いて、中身を飲み干してくれる人はいない。
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