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楽園
「愛」という時間がある。
Y層ではこの時間がA層の倍以上取られており、C層の半分である。
C層時分には然して気にも留めなかった「愛」。Y層に入り、……、ある事実を覚知しまってからは、身の毛も弥立つ吐き気を覚える。
広間へ招集が掛けられ、雌達は思念体からビジョンを作成し始めた。
昨日は茶髪にウエーブをかけた毛髪をビジョン生成していた「D5506Z1」通称「デイジー」は、今日は真っ黒で艶やかで、腰まで伸びる髪を生成した。
隣の「C2235R2」通称「キャリー」は、昨日とは違い胸部のふくらみが大きい。
雄共に何かを吹き込まれたのだろう。
おめかしタイムが終了すると、雄達が降ってくる。
ひらひらと舞い降りてくる者もいれば、馬に乗ってやってくる者、バイクに跨って登場したり、初めから全裸で登場する者もいる。
雄達の到着と共に雌もバラけて、昨日とは違う相手の前へ行き、話を始める。
互いを褒め合い、美しい場所を指摘し合うのが基本の所作。
「今日の髪の毛は、素晴らしく艶やかじゃないか」
「貴方の瞳も、黒くて美しいわ」
お世辞気もなく、全力で相手を褒めちぎる。
互いに良心を確認すると、サポーターを呼び出した。
デイジーのサポーターは、子犬。今日の彼女のお相手のサポーターは兎。小動物が、サポーターのポピュラーなビジョンである。
子犬がデイジーの手を舐めると、ビジョンの上から色が付く。黄色味がかった肌の色。疑似生成で神経系も通らない肌を作ると、デイジーと男は抱き合った。
抱き合い、耳元で囁き合う。
これを、時間一杯続けるだけ。
それが「愛」の時間である。
「アイ、いいかな?」
広場の隅で顔を背けていた彼女に、青い瞳の男が近づいてきた。流麗な金髪で、初めから全裸であった。
この時間の最後には、全裸になる規則がある。徐々に服を脱いでいくのが雌達は楽しいらしいが、結果を直視するタイプの雄は多くて、初めから全裸でいる奴も大勢いた。
どちらにせよ、彼女にとっては無駄な時間だった。
「何がしたいの、あんた」
男の顔に、足を振り上げる。
鋭角に振り下ろした踵は、男の顔にめり込んだ。
ビジョン同士でこれを行っても、足は顔をすり抜けるだけなのだが、これは重大な規則違反である。
顔の映像を足の映像が通過すると、パチン!と電波が視界を過る。
ビリっと頭痛が迸ると、真っ暗な世界に放り込まれていた。
ふっと体に重みが宿った。
瞼の先の照度が変わる。
瞼を開けると、水色の強化ガラス。
背中には柔らかな樹脂マットの感触。
繭のような蓋つきベッドに横たわっていた。
嘆息し、呟いた。
「ユー。時間は?」
水色のガラスに、女性の顔のビジョンが投影される。金色の髪に、睨みつけるような大きな目立ち。歳はA層。二十歳。
テーマは、将来の私。
髪の色を本体の黒から金に変えている理由は、今はもう覚えていない。
自分の肖像をサポーターにする人間は「イレギュラー」になる場合が多いとされる。
サポーターに呼称を付ける人間も「イレギュラー」になる場合が多いとされる。
ましてや、その姿を将来の自分という偶像に設定するのだから、「イレギュラー」になる未来は間違いないとされている。
「リセットまで、三時間五十三分です」
感情を排除した、機械的な業務口調。
機械であるサポーターに、機械としての役割を設定する人間もまた「イレギュラー」になる場合が、極めて多いとされる。
だから「A2776I5」、通称「アイ」は、そのように設定した。
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