水晶の雨がすすきの野に降る

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水晶の雨がすすきの野に降る

 すすきが揺れる草原に、叩き付けるような雨が降る。まだ昼前だというのにもかかわらず空は厚い雲で覆われていて、陽の光はほとんど届かない。薄暗い朝だ。  すすきの間を、何人かの人間が周囲を見渡しながら歩いている。固まって歩いているわけではない。ある程度距離を取ってうろついていて、なにかを探しているようだった。  ひとりの人間が、すすきの野原の遙か彼方、微かに明るく光っている方を指さして仲間達に知らせるように声を上げた。 「あそこだ!」  近くで人間達の様子を窺っていた僕は、すかさず声を上げた人間の背後に忍び寄り、手に持っている重い鉄の棒で、その人間の頭を殴りつけた。突然の事だからだろう。大雨もあってか僕に全く気づいていなかった様子の人間は、声も上げずにその場に倒れ込んだ。  僕は何度も人間の頭を殴りつける。そう、様子を見に来たこの人間の仲間も、全員鉄の棒で殴りつけ、地面へと転がした。悲鳴を上げて逃げだそうとした人間もいたけれども、僕達の住処を目指してきていた人間を生きて返すわけにはいかない。僕達の住処に入り込もうなどと言う不届き者は、絶対に生かしておいてはいけないのだ。全員を鉄の棒で殴り、地面に横たわった人間の数を数える。五人程か。この程度の人数なら僕ひとりで何とかなるけれど、今後こういった人間が増えるとしたら、その時はどうしたものか。  少し考え事をしていると、微かに人間の呻き声が聞こえた気がした。誰から聞こえたのかはわからないけれど、全員とどめを刺しておけば確実だ。後の憂いを残してはいけない。僕は倒れている人間ひとりずつの頭に足を乗せ、体重をかけて踏み潰す。それを全員分繰り返した。  頭部を失った人間を見ながら、僕は雨に打たれるがままになる。住処に帰れば着替えが用意されているのはわかっているけれども、これだけ雨が降っているのなら、雨に打たれて受けた返り血を流せるだけ流してから帰ろうと思ったのだ。  それは、洗濯を担当しているものの手を煩わせないようにとか、そういうことではない。住処である社に帰ったときに、万が一にも神様が、血で汚れた僕の姿を見ることがないようにだ。  神様はこんなに血生臭いことを知らなくていいんだ。僕の大事な神様は……  不届き者を殺し尽くした僕は、すすきの野原を歩いて行く。自分の背丈ほどもあるすすきを掻き分けてすすんで、そうしているうちに雨の勢いが弱まってきた。  鉄の棒を引きずるようにしながら歩いて、そのうちに大きな社が見えてきた。この社が、僕と神様と、神様に仕える特別な人間が住んでいる、僕達の住処だ。  朱色に塗られた門をくぐり、入り口の扉を開けると、そこには白い髪を長く延ばした、無表情な人物が立っていた。 「おかえりなさいハスター。これを」  その人物が差し出したのは、僕が今着ているものと似た、黒い服と黄色のフード付きマントだ。僕はただいま。と軽く挨拶を返して着替えであろう服を受け取る。廊下に上がり、入り口にいる人物に手短に告げる。 「不届き者の処理を」 「了解です」  この社に入り込もうと、あの草原を人間がうろつくというのは、稀ではあるけれども今に始まったことではない。その度にこの社の神様以外の者が不届き者を殺し、処理をする。ここで死んだ人間は、人間達の間では行方不明者として扱われる。それもそうだろう、死体が見つからないのだから、行方不明と言わざるを得ない。  僕もかつては、先程殺したような人間と同じ人間だった。いや、今でも人間といえば人間なのかもしれない。けれども、僕は神様の気まぐれか、それとも何か理由があるのか、とにかく、今はすすきが茂っているあの野原が菜の花で埋め尽くされる季節に、神様の手によってここへと連れてこられた。それが良いことなのか悪いことなのか、それを考える気は無い。現世で暮らす人間達が勝手に憶測をとばしていればいい。それだけだ。  もう歩き慣れたこの社の中の、玄関近くの小部屋で濡れた服を着替える。この部屋は濡れて帰ってきた住人がすぐに着替えられるようにと作られた部屋らしく、僕もよくここを使っている。  部屋の中に用意されていた布巾で身体と頭を拭き、乾いている服を着る。いつものように黄色いマントを羽織ってフードを被る。そうしたら、僕は小部屋を出て神様の部屋へと向かった。  神様の部屋の方から物音が聞こえる。重い物が落ちる音もするので、もしかしたら神様が怒って物に当たっているのかもしれない。僕は足早に部屋へと向かい、戸を開けて中に声を掛ける。 「アザトース様、ただいま戻りました」  すると、部屋の中で床に落ちた鏡を叩いていた神様、アザトース様が駆け寄ってきた。 「はすたぁ! あー! うぅぅぅぅ」  どうやら相当ご機嫌斜めのようで、部屋の中が随分と荒れている。けれども僕に殴りかかるということもなく、僕が少し腕を広げていると、素直にその中へと飛び込んできた。「はすたぁ、はすたぁ、ううう」  僕がアザトース様の事を抱きしめると、アザトース様は僕にしっかりとしがみついて、何度も僕の名前を呼んで頭を擦り付けてくる。僕がアザトース様の側を離れることがあると、いつもこうだ。きっと、今回に限らずいつも、僕がいないときは寂しくて、僕のことを探しても見当たらないから腹を立てて部屋の中で暴れたりするのだろう。そのことを、どうして僕が責められるだろうか。こんなに一生懸命、僕のことを探して求めて、寂しがっているアザトース様の事を、どうやって? 「ああ、寂しかったのですね。寂しい思いをさせて申し訳ありません」  そもそも、アザトース様に付け入ろうとする人間がこの社を探そうとしなければ、アザトース様に寂しい思いをさせることなど無いのだ。ただその一点に置いてだけでも、人間は罪深いもののように思えた。  人間に対する苛立ちを覚えながらも、アザトース様を抱きしめてその温もりを感じているうちに、だんだんと気持ちの昂ぶりが治まってきたように感じた。冷えていた手先も温まり、それにつられてだろうか、僕の腕の中にいるアザトース様の様子も、徐々に落ち着いてきたようだった。  僕とアザトース様で、まるでしがみつくようにお互いを抱きしめ合う。どれだけそうしていただろうか、耳に入ってくる雨の音は小さくなり、背後から陽が差してくるのを感じた。 「うー、んんん」  アザトース様が喉を鳴らすようにして、僕の胸元に頬ずりをする。その様が微笑ましくて、僕は笑みを浮かべてアザトース様に訊ねる。 「機嫌を直して下さいましたか?」 「んんん、あー」  先程の、戻ってきたばかりの時の激しい声色ではなく、まるで甘えるような声を返すアザトース様を見て、どうやら機嫌を直してくれたようだと安心する。アザトース様が怒っているとこわいというのは、正直言うとある。けれども、怒っていないときのアザトース様は無邪気で、愛らしくて、なにがあっても守りたくなるような、そんな雰囲気があるのだ。  雨が上がったのだろうか、社の周りから鳥の声が聞こえる。それから、昼餉の時間を告げる鐘の音が鳴った。 「アザトース様、ごはんの時間ですよ」  鐘の音と僕の言葉を聞いてか、アザトース様が腕の中で僕のことを見上げる。それから、先程の荒れようなど想像も出来ないような笑顔で屈託の無い笑い声を上げた。どうやら昼餉を食べるのが楽しみなようだった。  これから食事がこの部屋に運ばれてくるなら、この荒れた部屋を片付けなくてはいけない。僕はアザトース様から身体を離し、床に散らばったものを台の上や、棚の中へと片付けていく。アザトース様はしばらく僕の様子をきょとんと見ていたけれども、少ししてアザトース様も片付けに加わった。ほんとうは、アザトース様の手を煩わせないで僕ひとりで片付けたいのだけれども、手伝ってくれるという心遣いは嬉しい。  床に転がった花瓶や鏡、クッション、筆記用具、そんなものをあらかた片付け終わった頃に、厨房からアザトース様と僕の分の昼餉が運ばれてきた。頭からすっぽりと布を被った給仕が、食台に乗せた料理を部屋の真ん中に並べて置く。それからすぐに、アザトース様と僕に一礼ずつして去って行った。  アザトース様がお箸を持って両手を合わせる。僕の名前以外には言葉らしい言葉を一切話さないアザトース様だけれども、食事の前には必ずこうやって両手を合わせる。アザトース様はこの世界を創った神様なのだから、今更誰に感謝や敬意を示しているのか、その必要があるのかはわからないけれども、その姿はごく自然なもののように思えた。  僕も、お箸を手に持って両手を合わせる。それから、料理に手を着けた。  今日用意されたのは、お茶碗いっぱいのごはんと色鮮やかな魚の煮物、それから黄色や白や紫の、色とりどりの菊の花が入ったスープだ。菊の花のスープをひとくち含むと、塩と香辛料の風味と、ほんの少しだけ甘みを感じた。コクのあるこの甘みはおそらくなにかの花の蜜だろう。もしかしたら、入っている菊の花が蜜を含んでいたのかもしれない。  鮮やかだけれども豪華すぎないその食事を、僕はゆっくりと食べていく。食べながら時々、正面に座ったアザトース様の様子を窺うと、夢中になって菊の花や魚の身を口に運んでいる。今日もこの料理がお気に召したようだ。  ふと、アザトース様と目が合う。するとアザトース様はご飯の盛られたお茶碗を持ったまま、嬉しそうに笑った。  ふたりで楽しく昼餉を食べて、食器が食台ごと下げられたあと。すっかり雨もやんで暖かな日差しが縁側に差し込んでいた。雨が降っていたときは寒いくらいだったのに、今になって暖かくなったからだろうか、それともお腹がいっぱいになったからだろうか、アザトース様がうとうとしはじめた。寝所へ行って布団で寝かせようとしたら、どうにも縁側から動きたくなかったようで、そのままその場で僕に膝枕をされて寝息を立て始めた。  アザトース様がこうやって僕の膝枕で寝るのは珍しいことではない。膝枕どころか、夜寝るときに同じ布団で寝る事も多い。多いというよりも、アザトース様が僕と別々に寝たいという素振りを見せることがあまりないので、僕に何か用事があるだとか、体調を崩しただとか、そういうことが無い限り、毎日のように一緒に寝ている。  僕の腕の中や、膝の上で寝息を立てるアザトース様は、まるで子供のようだ。ほんとうは子供ではないのだろうけれども、このあどけない寝顔を見ると、どうしてもそう思えてしまう。  すやすやと寝息を立てるアザトース様の頭を撫でながら微笑ましく思っていると、足音が聞こえてきた。誰か何か用事があるのだろうかと思い音の方を向くと、先程社の入り口で僕に着替えを渡してくれたあの人がいた。その人がぺこりと僕に一礼をしてこう言った。 「ハスター、先程の不届き者の処理が終わったそうです」  それを聞いて、僕は思わずその人のことを睨み付けた。 「アザトース様の前でそんな話はしないでくれないか」  すると、その人は無表情のまま、はい。と返して一礼し、すぐに去って行った。  それを見送る間もなく、僕はアザトース様の方へ目をやる、今の話が聞こえていただろうか。そう思いながら頭を撫で、顎の下に手をやってまた撫でると、アザトース様は気持ちよさそうに口をむにゃむにゃと動かす。目はしっかりと閉じたままだし、起きる様子もない。良かった、あの人との会話は聞かれていないようだ。  アザトース様だけでなく、自分たちのためもあるとはいえ、人間を殺してその死体を処分するなどという血生臭いことは、アザトース様には聞かせたくないのだ。もしかしたら、アザトース様はその話を聞いても理解しないかも知れないけれども、それでも僕は、愚かしい人間の話などアザトース様の耳に入れたくないのだ。  僕がこの社に来て、アザトース様と過ごすようになってからどれだけの時が経ったのだろう。それはわからない。わからないけれども、自分が人間達の間で神話になっていることは知っている。その神話に縋るように、この社に来れば願いが叶うと思っている人間は少なくないだろう。だけれども、どんな願いであれ、強引に僕達の住処を荒らすようなことは赦さない。  僕の膝の上ですやすやとしあわせそうに眠るアザトース様の額に唇を落として、それから宙を睨んで口の中で呟く。 「アザトース様を人間に利用させたりなんてしない。 絶対に」
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